日本の習俗 第二十三回 ~鎮守の森による癒し~
< 鎮守の森による癒し > 禁足地とされた鎮守の森は自然のままだ 現在も、神社は木々を生い茂らせ人々のこころを癒してくれる。 またこの木々の四季を織り成す姿を自分の人生になぞらえたりもした。 中世後期、熊野比丘尼が絵解きに用いた 「熊野勧心十界曼荼羅の人生の階梯」には背後に 少年期は春の梅や桜、青年期は夏の松や杉、壮年期は秋の紅葉、 老年期は冬の落葉木と、それぞれを示す男女が木の小枝を持って 歩む姿が描かれている。 産土のカミは人に生を与え、成長を守り、死後の往生をもたらし再生をも司っていた。 鎮守の森の四季による変化も、これに対応して考えられていたのかもしれない。 そして、この日本の「森=杜」の四季と人生の対応は海外でも見受けられるのだ。 「葉っぱのフレディ」(バスカーリア教授)というミリオンセラーのなった童話では 森で新芽を出し、花を咲かせ、若葉となり、紅葉も、やがては散っていった葉っぱが 土となって木々に新しい養分を与え、新しい芽を育んでいく話が語られていく。 鎮守の森の木々はそうした、自然の、人生の循環を語りかけているのだろう。 そう、「森」は「木」と「土」で、「杜(モリ)」なのだ。 日本人の一生を象徴するとともに、四季折々に、一生に渡って 安らぎを与えてくれる「森の鎮守」の回は、これにて閉幕としよう。 次回から、日本人の死生観について、生まれ変わり・転生までいきます。 「アメリカの著名な哲学者レオ・バスカーリア博士が[いのち]について 子どもたちに書いた生涯でただ一冊の絵本。」 ↑ プログランキングに参加中、四季折々の日本の美しさに乾杯クリックお願いします ーーーーーーーーーー 追 記 ーーーーーーーーーー 和歌山県那智勝浦町浜ノ宮のJR紀勢線・那智駅で、普通電車がオーバーランし、 100メートル弱の地点で脱線する事故が起きました。幸い、怪我人は出ませんでした。 運転士の話では、ブレーキの利きが悪く、非常ブレーキを使用したとのこと。 原因究明はこれからでしょうが、とにかく怪我人が出なかったことは良かったです。