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テーマ:こころの旅(60)
カテゴリ:思索
教育現場で国旗掲揚と君が代斉唱が強制されているというニュースに危惧を感じる。
ここで国旗や君が代の是非を言うつもりはない。 しかし国が先頭にたって指導し、末端に至るまで徹底して従わせようという姿勢に問題を感じるのだ。 国旗掲揚や君が代斉唱したい人がいてもそれに反対はしない。そうしたければすればいい。 けれどそうしたくない人たちが処分されたりするのはファシズムとしか思えない。 国旗掲揚や君が代斉唱は職務であり、それに従うわない者が処分を受けるのは当然だとの意見もあったが、そういう人たちは職務であれば何でもするのだろうか? たとえば政権が変わって君が代禁止になったとしても、それも職務だからといって素直に従うのだろうか? だとしたら日本が敗戦したときにたちまち変節し、民主主義を教えはじめた教師たち同じではないのか? およそ思想というものがない。 上から言われたことにただ従うということは自らの知性を放棄するということだ。 国旗掲揚や君が代斉唱を処罰してまで徹底させようという寛容性のなさは、多様性や個性、そして知性に反する。それがファシズムでなくてなんなのだろう? 子供たちにはさまざまな考えがあることを教え、自分で考えるよう促せばよい。 混乱はするだろうが、そこからしか知性は育まれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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