長くもない人類の歴史においてわれわれが生きるこの時代を後世はどのように記録するだろうと考えてみる。自由と民主主義というかりそめの飾りのもとで、少数の超富裕層が偽りの貨幣とメディアと宗教というツールを巧妙に操って圧倒的多数者をおもうままコントロールし「平和のうちに」治めた、そしてコンピューターシステム網によって整えられた惑星規模のこの世界システムに反抗するものは徹底的に弾圧され、アウトランドへ隔離されあるいは虐殺された…たとえば、このように記されるのではないのか。
この10年の世界の動向をうちながめるとき、こうした悲観的見解を無視することがとても困難だ。悲惨と残酷を売り物にする組織は慈悲と救済と平和を殊更その看板に高々と掲げる。「人間らしさ」は貨幣システムの金利によって攪乱され、組織的強奪者や殺人狂の犯罪者が救済者のふりをして世界中をのし歩く。民族の血と汗の歴史のなかで贖われたはずの「ことば」はゼロとイチによってデジタル的に惑乱され呪術的に駆使され、装われた記号群がもっぱら読み上げられ唱えられるが、その舌の動きは機械的でちょうつがいで動作する脳味噌は空洞でその瞳孔は空虚によって満たされ、その生涯は宝石で飾りたてた売春婦のように哀しい。
どろりとした夜明けが来ていつのまにか網戸の破れ目から侵入した一匹の蚊が薄闇のなかを飛行している。壁のカレンダーはまだ二月だが庭先に霜柱の立つ気配さえもなくて遠望する向かいの山裾にはどうやら梅がもう開花した。窓の前の桑の木はとまどう季節のなかで行き場を見失って裸の樹肌をなまぬるい夜明けの風にさらす。隣人が残していった大ぶりの鉈で枝のひとつを切り裂いてみると悲鳴もあげずに青白く剥きだしたその生の天然をのぼりはじめた陽に差し出す。「ことば」は安っぽいエンターテインメントなる道具に墜ちてしまったのか。失語症の世界がやけにあかるい朝を着色された青空のなかに無言のままに展開させている。
素足のまま床の上で座禅を組み、一杯の水で喉を潤し、わたしは落下した蚊をつまみあげてその生の終焉を観ている。漠々茫々…そんな夢を見た、いや夢ではなかった。
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Last updated
2007.02.17 09:44:12
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