続・〈帝国〉と「帝国」
承前〈帝国〉(Empire)とはなにか。つづきをかんがえてみる。そもそも、帝国主義(Imperialism)とはどのようなものであったろうか。領土の拡張、というのがそのひとつの面である。なぜ領土を拡張するのか。資源や富を得たいからであろう。だが帝国主義の宿命もそこにある。帝国主義とは、たとえていうならば、絶えず食べ続ける大食漢のようなものだ。食べ続けることを止める時は死ぬ時である。まさに食べ続けることが彼の存在そのものであるからだ。帝国主義は、覇権をもとめつづけ無数の植民地をむさぼり食いつづけて富をわが手中としつづける。領土の拡大は、言語や物流の拡大を結果させる。伸び続ける動脈を養うために、さらなる領土拡張を必要とする。そのこと自体が、じつは帝国主義のもっとも弱い部分である。2600年前に共和国として産声をあげ、西暦1年にヨーロッパ世界=地中海世界をほぼ支配下に置いたローマ帝国も、まさにそうしたことによって滅びた。軍事的政治的な拡張主義は、それ自身のうちに滅亡の萌芽を宿している。大英帝国もナポレオンのフランスもスペイン無敵艦隊の栄華も侵略と領土拡大の果てに自らの墓穴を掘ってきた。あらゆる帝国主義が、いずれもおなじような経過をたどって衰亡へとむかうのだ。それらの様子は、森の生態系の比喩でも描き出すことが可能である。特定の種類の樹木が大繁殖した時、森の生態系は自動的にネジを巻きもどす。ブナの大木の森は無数の雑木のなかにあってはじめて大木であることを許される。ネグリらは世界の内部、国家や国境のあいだで起きはじめている変化の諸相を、国家と世界の生態系ともいうべき視点からいくつかの要素として捉え直し、かつて帝国主義の結果としてかんがえられてきた物流や生産、資本の移動(つまり、ヒト・カネ・モノの流れ)というものを、むしろ世界を形成する基本的要素として捉え直し、再構成を試みようとしたのだろう。するとそこには、世界のまったくあたらしい様相が姿をあらわした。まさしく【〈帝国〉への移行は近代的主権が終わりにさしかかったころ、その黄昏のなかから姿を】(『〈帝国〉』序より)あらわしたわけである。ネグリは序の末尾につぎのように記している。本書の執筆は、ペルシア湾岸での戦争がまさに終わった後に開始され、コソヴォでの戦争がまさに始まる前に完了した。したがって読者は、〈帝国〉の構築において鍵となるそれら二つの顕著な出来事のちょうど中間に私たちの議論を位置づけることになるはずだ。(同書11頁より)このことは、なかなか意味深である。湾岸戦争がパパブッシュの戦争としてはじまったのは1991年1月17日午前3時(アメリカ東部時間16日19時,日本時間17日9時)であり、フセインのイラクは地上戦開始(2月24日=砂漠の嵐作戦=)のわずかに3日後すなわち2月27日、クウェート併合の無効を発表、戦争の行方は確定した。この戦争でとりわけ奇異な動きを示したのが国連であった。本来ならば、国連は国連軍という軍事組織を擁しており、それらを動員することで和平を実現するという立場をまもってきた。しかし湾岸戦争では「多国籍軍」というあらたな軍事組織が国連軍に代わってイラク制裁に動くことになったわけである。この顛末については、それ自体が長い物語を秘めるからここでは触れないが、要するに、国連の安全保障理事会は、常任理事国であるロシアと中国が承認しないままに国連軍を宙に浮かせるしかなかった。そこで米国は英国それにクェート軍とともに「多国籍軍」というシロモノをでっち上げざるを得なかった。つまりは、グローバルな秩序をまもるという観点から国連はその無力な姿をさらした戦争であったわけである。湾岸戦争は、テレビジョンメディアによる「ピンポイント爆撃」の同時中継と映像メディアによる「原油で汚れた水鳥たち」の演出された映像によって世界中に喧伝された戦争でもあった。インターネットはまだ誕生前夜にあった。わが国ではいわゆるバブル経済がはじけて「失われた10年」と後に呼ばれることになる長い不況のトンネルへ突入するちょうどその直前の時期にあたる。政権政党の総理は竹下登から宇野宗佑、海部俊樹ときてこの年の秋(1991年11月)から大蔵官僚出身の宮沢喜一が首相の座についた。著者のネグリ自身はこの時期まだフランス(パリ第8大学などで親友の哲学者ガタリらと教鞭をとっている)にあったが、1997年には帰国したところを思想犯としてイタリア警察当局に空港で逮捕され、以後は獄中生活を続けることになる。獄中といってもイタリア独自の法制度による「通勤刑」というものだったという。昼間は図書館に通勤してこの著書を執筆し、夕方になると収監されていた刑務所へ戻るという生活だったようだ。したがって、獄中で書いたというとやや語弊がある。ほぼ普通の市民生活に近い情報空間にあったとかんがえられる。この稿2005.06.12につづく。(読者からの指摘により本文中の筆者の誤りを修正。ご指摘に感謝=2006.06.12追記)