【三ツ目が行くでやんす!】・・・青春編・最終話
:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::いよいよ、石川県も本格的な冬に向かおうとしている気配を感じます。スキー場関係者の皆様には申し訳ありやせんが、今年の冬は、新潟県だけには雪が降らないで欲しい。。。個人的には今年の新潟の震災には、まったく何もしてあげる事ができず、ただただ無事を祈り、亡くなった方々のご冥福を祈るばかりでした。いまだに仮設住宅にも入れず、途方に暮れていらっしゃる方々の事を思うとこの寒さが厳しくなるにつけ、自分の力の無さに愕然とする事もありやす。・・・もし自分の地域で同じ被害をこうむったら・・・、と思うとゾッとするばかりではありやせん。あっしみたいなプ~太郎には、何の給与保障も無いわけでやんすから、こんな自然災害で、いとも簡単に生活が崩壊する可能性があるわけです。新潟の皆様、頑張ってください。わずかですが、コンビニからでも、あっしの出来る範囲で義援金を送らせて頂いてやす。。。本当に何も出来なくて、ごめんなさいね。。。新潟県に大雪が降らないことを祈るばかりでやんす。どうせ異常気象なら、そこまでやってよ、お天とさん!!:::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::: 【三ツ目が行くでやんす!】・・・青春編・最終話 地元での就職も内定が取れ、あとは卒業単位を完全に全うするだけとなったあっしは、 ここまで支えてくれた新聞販売店のオジサン、 そしてあっしを【三ツ目ちゃん】と叫び、 命名してくれた奥さんやご家族の皆様に答えようと 仕事にも当然、手抜きはしなかったでやんすよ。 今でこそ、新聞の折り込みチラシを新聞にセットする機械は 20枚、30枚まとめてくれる機能がありやすが、 今から18年前のそれは、10枚セットがやっとだったと思いやす。 ですから、週末になると大きなチラシや小さなチラシが 20枚以上なんて事は当たり前で、 夕刊配達が終わると、晩ご飯を頂いてその後、 翌朝の新聞に組むチラシのセッティングをするわけです。 これはとても時間が掛かる仕事で、週末は睡眠不足になりやした。 朝は3時半に起きます。 そして店に着いて、チラシを新聞にハサんでバイクに山のように積むのですが、 一人平均400部の新聞を配達するので、 バイクに乗り切らない分は中継地点を決めて運んでもらいます。 出発は4時~4時半頃で、6時前に終了しやす。。 雨の日や雪の日は、1.5倍から2倍の時間が掛かりやすから4時前には出発しやす。 ・・・あれは12月の 今頃だったかなあ。。。 東京の中でも、羽村という町は青梅市に隣接していて 冬は結構寒かったんですが、 ある日の配達中に道路のくぼみに足を置いたために捻挫しちゃったんですよ。 ビッコ引きながら何とか配達を終了したんですが、 学生時代からよく足首を捻っていたので クセになっていたんですな。 ・・・大学では時を同じくして、試験が始まっていやした。 卒業単位を取るためには、一つの科目も落とせない状況でしたから、 毎晩のように徹夜の勉強でやんす。 ☆そうでやんす!!・・・この時、金曜の朝から火曜日夜までの 『四日と十七時間不眠不休』という、自己新記録を作りやした。 なにせ、試験のピークに加えてレポート30枚書かなきゃならんし、 試験中は眠れないし・・・、 昼休みの時間にうっすらと眠ったかも知れやせんが、仕事も全く手を抜けない状況でした。 そんな時に足首の捻挫をやってしまったもんですから、ツライったら、ありゃしません。 そのうえお風呂もシャワーだけでしたから、睡眠不足もタタッて 体温も低下し、しまいには風邪を引いてしまいやした。 ・・・『 捻 挫 』 と 『 風 邪 』 と 『 試 験 』 と 『 不 眠 』 ・・・そして 『 新 聞 配 達 』&『 雪 』。 結局、、、やりぬきやした。 これだけ重なっても、やり抜く事ができたのは、 やはり周りの方々の暖かい励ましとご協力のお陰でやんす。 この最後の試験の結果、見事にあっしは卒業単位を2単位だけオーバーする事が出来やした。 一科目4単位(前期後期2単位ずつの科目もありやす)だったので、ギリギリだったわけです。 ★昭和62年3月末。。。 店では、全員であっしの為に送別会をして戴きやした。 奥さんは、たった一年間お世話したあっしのことを涙を流して喜んでくれやした。 ・・・そう言えば、一度あっしが事故で怪我をして松葉杖をして困っている時に アパートの部屋を掃除しに来た事がありましたっけ。 その時あっしの本棚にビニ本やら、AVなどが置いてあるのを見てびっくりしていました。 あっしは 『若い青年が、エロ本も見た事ないなんてそっちの方が不健康的でやんしょ?』 と開き直っていた事を今さらながら恥ずかしく思います。。。 ●父親を亡くすまで途方に暮れていたあっしが 立ち直るきっかけを作ったのは何だったのでしょうか。 慌てて、石川県までヒッチハイクをして母の姿を思い出すにつけ胸が熱くなったあの時、 ふなや青年は何を見たのでしょうか。。。 新聞販売店での送別会の最後の挨拶で、三ツ目ちゃんはこう切り出した。 『皆さん、あっしは一年前、どうしようもない落ちこぼれで、借金まみれの学生でした。 そんなあっしを救ってくれたのは、そこにいるSさんです。 そう、このオジサンにはあっし、一生頭が上がらないです。』 『でもね、あっしの生まれた石川県には凄い『日本海』という海があるんです。 父親が死んだ時、あっし、石川県でトラックから降ろされた時、 橋立港の冬の漁船を見ながら思ったでやんす。 この漁船に乗って漁をしている男達は、油断をすれば網に引っ張られて この寒い海の中に放り出されてしまう、と。 あっしは何て生ぬるい生き方をして来たんだろう、と。』 『親父が死んで、母親を守っていかなきゃならんのに、 あっしは何て馬鹿な生き方をしたんだろう、って、激しく自分を責めました。 だけど人間って、たったの一年で、こんなに変われるんですね! こんなカタチで出会って、皆さんに助けて頂いて、もう最高の一年でした。』 『あっしはこの一年を、黄金の一年だと思っていやす!! 本当にお世話になりやした!!』 S家のお婆ちゃんも可愛がってくれやした。 あっしの言葉に手を叩いて喜んでくれやした。 その晩は、気を失うほど専業さん達と飲み明かしやした。 3月某日。 あっしはもう一人の恩人、K教授の家でゼミ生として 報告を終え、研究室の先輩や後輩たちと居やした。 卒業するメンバーがひと言ずつ挨拶をした。 それぞれ、思い思いの言葉でK教授にお礼を述べた。 あっしは先日覚え立ての歌ですがと言い、教授の前で 大きな声で『あざみの歌』を歌った。 『愛しき花よ 名は あざみ 心の花よ 名は あざみ 運命(さだめ)の道は果てなくも 薫れや せめて 我が胸に 』 ・・・歌いながら これまでの出会いが走馬灯のように駆け巡り、 涙で顔がぐちゃぐちゃになった。 初対面で研究室に押しかけ、講義の感想を胸いっぱいに披露させて頂いた時、 K教授は、落ちこぼれだったあっしを 澄んだ瞳でニッコリ笑って 『頑張りなさい』と励まし、そっと学食の食券の束をくれやした。 ・・・穴が開いたあっしの靴下を見て「私のをあげるよ」とタンスから出してきた靴下には なんと『小金井カントリーCC』と書いてあって驚いた事もあったっス。 こんな落ちこぼれを 法学部1番のゼミに加入させて戴き、 最後まで励まし続けてくれたK教授には本当に慈愛を感じやした。 ●卒業式を終え、あっしがアパートに戻って来ると そこにはあっしが交通事故に遭った後に仲良くなった 3回生達4人が待っていた。 あっしが故郷へ帰るための荷造りをしている事を聞きつけたのか、 石川県まで荷物を運んでくれるというのだ♪ なんという奴らだ!! 馬鹿野郎達が(^_^.) この友情に さすがのあっしもまたまた目がウルんだでやんす。。 ワゴン車に荷物を積んで、総勢5人!!荷物と人間がごちゃ混ぜの状態で、 さぁ、石川県まで爆笑の旅、【出発進行!!】でやんす♪ (青春編・最終話・完):::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::・・・【三ツ目が行くでやんす!】青春編、いかがでしたか? 次回からは、社会人になった三ツ目ちゃんが、苦闘しながらも セールスマンとして成長していく場面を展開して行きやす。 どうぞお楽しみに!