6月6日のミサのみ言葉は有名な奇跡のお話でした。「5つのパンと2匹の魚」
ご存知の方も多いでしょう。
深読をするとき、その個所だと知って私がなんと考えたと思いますか?
なぁんだ、知っているところか~~ ・・・
ルカによる福音9章 11b~17
11b<その時、イエスは群衆に>神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。
12 日が傾きかけたので、12人はそばに来てイエスに言った。
「群衆を解散させてください。そうすれば、周りの村や里へ行って宿をとり、食べ物を見つけるでしょう。
私たちはこんな人里離れたところにいるのです。」
13 しかし、イエスは言われた。
「あなた方が彼らに食べ物を与えなさい。」
彼らは言った。
「私たちにはパン5つと魚2匹しかありません。このすべての人々のために、私たちがたべものを買いに行かない限り。」
14 というのは、男が5000人ほどいたからである。イエスはでしたちに
「人々を50人ぐらいずつ組にして座らせなさい」と言われた。
15 弟子たちは、そのようにして皆を座らせた。
16 すると、イエスは5つのパンと2匹の魚をとり、天を仰いで、それらのために讃美の祈りを唱え、裂いて弟子たちに渡しては群衆に配らせた。
17 全ての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、12籠もあった。
たったの7節なのに打って(タイプして)みたら結構あります。
私の第一印象、「なんだ、知っているわ~~」 はいきなり(バツ)をもらってめっくらってしまいました。だって、11bですでにイエスが奇跡を行っておられた、て書いてあったからです。そんなこと今まで気が付いたことがありませんでした。
5000人から10000人(当時男しか数に入れなかったから、女性や子供も数えたらそれぐらいの人々が集まって来ていただろう、と言われています)の人々が満腹するほど食べたけれど、もとはたった5つのパンと2匹の魚、おまけに食べ終えてもまだ12籠もパンが残っていた、という超有名な奇跡のお話は、すでに奇跡をおこなうイエスの姿から始められていたんです。
このころになるとイエスは奇跡をおこなう予言者やエリア(救い主)だ、というイメージが人々に相当浸透してきていたのでしょうね。だからみんな癒しを求めてイエスのところにやってきた。
イエスの神の国のお話は、この世で苦しむ人々にとって心の励ましや慰めになっていたことでしょう。
この前紹介した「お父さんの宝物」の著者である山浦玄嗣さんはご自身のふるさとで使われている岩手県気仙地方の方言(彼曰くケセン語)でイエスに語ってもらうのが一番ぴったりだ、とおっしゃいます。
なぜなら、イエスはナザレという片田舎のしかも身分の低い家庭の出身だからです。ナザレ弁で語っていたに違いないのです。
つまり非常に貧しい身なりのイエスが、田舎くさいちょっとみんなにバカにされるようなずうずう弁で神の国のお話を語っていた。
そこにすぐ共感できる人々はどんな人だったでしょう?
やっぱり身分が低くで、食べるものも食べられず、そしていつも富める者や力のあるものから、圧力をくわえられて虐げられている人、病気になってもただ自分の身体を休める以外に方法を持たない人たち、社会の中で小さく縮んでこっそり生活している人々が村はずれの人気のないところにどんどん集まって来ていたのでしょう。
つづく