深読から書祷へ
久しぶりにシスターとゆっくりしゃべりました。「聖書深読会」だったのだけれど、二人だったのでじっくりと・・・。 シスターは子どものころかお習字をなさっていてね~、今でも教えていらっしゃるんです。前回のときにせっかくだから、深読の後にちょっと墨の世界を味わうのも素敵ですね~~と私が言ったのをちゃんと覚えていて下さって、紙だとか筆だとかもってきてくださったんです。言った私は忘れてしまってましたが・・・シスター「今日の深読の箇所(マルコ6章1~6)で心に残った言葉を書きましょう」「う~~ん 何にしようかなぁ・・・?じゃぁ・・・「奇跡をみつける」にしました。 深読の中でイエスがご自分のふるさとに帰られたとき、子どものころのイエスと宣教活動をするようになったイエスの姿、言葉はふるさとの人々にとってはあまりに違っていたのでしょう。奇跡を行なうイエスはむしろ大きな偏見の中で悲しまれることになってしまった。それで多くの奇跡はおできになれなかった(5,6節)というのがあったのです。私たちの社会もいろいろ勉強して賢くなって、様々なことを人の手で成し遂げられるようになった。だけど思い通りにはならず、腹を立てたり失敗がないかと不安になったり、失敗をする人を信用することができなくなったり・・・だからできるだけ理屈を考えないで生きていたいそのままを受け止めようそこに喜びがあるはずで「奇跡をみつける」なのです。