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テーマ:今日見つけた宝物(655)
カテゴリ:聖書の世界
午前中、これからの高齢者社会をカトリックの信者たちがどんなふうに受けとめていこうか、というセミナーにToさんと一緒に出席し、その後、フランシスコの家で「神の道化師」というフラシスコ会の修道者たちの姿をとらえた映画を見てきました。 それらのことについてはまたぼちぼちご紹介ししていくことにいたしますね。 田舎弁のイエスさんのお話に耳を傾けていた人たちは、小さく弱く価値のないものと思われていた人たちだったのでは?というところまで書いていました。 私、もう一つ引っかかったことがあったんです。この5000人~10000人という数の人たち、聖書で使われている言葉、「群衆」に向かって、イエスさんがお話しされても、聞こえないんじゃない?て!! 11b<その時、イエスは群衆に>神の国について語り、治療の必要な人々をいやしておられた。 さらにまた疑問が出てきます。イエスさんが語られた「神の国」てどういう話だったんだろう~~ということです。 この小さな虐げられた人たちにイエスさんが言ったことは、こんなことだったと思います。 お金があったら、力があったら、才能があったら…世間が求めるものを持つお人はみんな大なり小なり傲慢にならはる。 そういうお人は残念やけど、神さんを感じることはできひん。そうやろ? わ~~、こんなたくさんの人のごはん、いったいどうすんのやろ、はよ帰ってもらわな~~。 そんな弟子からの言葉を耳にされたらイエスさんはなんて思われたでしょう。 「みんなにご飯をあげるのは、あんたらやで(私らやで)!!」 とこんなイエスさんと弟子たちのやり取りが聞こえてくるような感じがしてきました。
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