11時のミサの後、みんなでお弁当を食べ、日曜学校の子どもたちはバスで山の家に向かいました。いつも通っている教会の子どもたちだけじゃなくて、ほかの子どもたちも合流するので、顔を合わすたんびに
「お~~ 久しぶり~~」
「ちょっと、背い高なってるんとちゃうの?」
て座っているWが声かけて立ってみると
「Wちゃんの方が背い高なってるやんか~~」
「Mちゃんは大人っぽいファッションやから年上に見えるんや~~」
などなど・・・、最初からずいぶん盛り上がっていますよ。
さて、出発に先立ってお御堂でこのキャンプのテーマソング『キリストのからだ』をうたって神父さんに祝福してもらうつもりでした。
そしたら、神父さん、もっと大きい声で歌えるでしょう?もう一回歌いましょう!!
う~~ん、でるわ出るわ、さっきの何倍もの声がお御堂の中で響きました。やっぱり神父さんの一言は大きいですね~~
どうしてこの歌に神父さんがこだわっておられるのか、それはこのキャンプ自体のテーマが『ご聖体』だからなのです。
ちなみに歌詞はこんな感じです。
*キリストのからだ いま受けよう
キリストのおん血 いま飲乾そう*
このパンに養われて 希望に生きる
このパンを受けるものは みなとわに生きる
* *繰り返し
主のもとに集うものは 愛に満たされる
いけにえの羊となりたもう主が 共にいる
* *繰り返し
天より降りたもう いのちのパンよ
この地上に平和と赦し与えたまえ
* *繰り返し
今日、ごミサの後に有志のメンバーで集まってそれぞれの思いを語り祈りを共にしました。そのときも子どもたちのテーマ『ご聖体』が話題になり、実際私たちはどれぐらい『ご聖体』というものを理解できているのか・・・を考えてみました。その時に思い浮かんだことです。
話は飛びますが、今Wの学校の音読の個所は「森へ」星野道夫著です。
子どもの朗読に耳を傾けていると、アラスカの熊の棲息している原生林へ、一人で踏み込んでいくときの彼の恐れが感じられます。
熊の道を歩いている自分、今にも向かいから大きなクマがやってきそう~~
そんな始まりなのに、だんだん彼は落ち着いてき、この森の中に抱かれている安らぎを感じ、そのうちすっかり星野さん自身がクマになったかのように、熊がやってきたらすっと道を譲ればいいのだ、と感じられるようになっていかれます。
その彼の実際の人生の最後はどんなものだったか!先日Wに言いました。
『ロシアでのテレビ取材のとき、取材班の人が道夫さんのテントで食事をして、そして自分たちは宿舎に帰った。道夫さんは食べ物の匂いの残ったテントで寝ていて、ヒグマに襲われて亡くなったんだよ。
この「森へ」は彼が亡くなったすぐ後に出版された本なの。でもこの文が描いている部分はもっともっと前のことじゃないかと私は思うけれども・・・
考えてみると、星野さん、本当に熊にならはったんやね。
熊の胃袋の中に入って、この生き物の生きる力になって、そしてその熊が死んでもきっと次の世代の熊の命に、星野さんのエネルギーが引き継がれていったのと違う?
本当の自然の中に生きる人にならはったと思う」
『キリストのからだ 今受けよう
キリストのおん血 いま飲乾そう」
冬眠前の熊である私たちはガツガツキリストの体を食らい、おん血を飲乾し、自分の命に取りこんでしまう。
これ、強烈なイメージだけれど、キリストの究極の愛の姿ですね。
そして一体になるための唯一の方法ではないでしょうか・・・