|
カテゴリ:聖書の世界
つづき ルカ11章4節 昨日の夜はToさんとちょっと聖書談義をしました。ちょうどこのルカの11章の1~4の部分です。英語訳はどうなっているんだろう?と英語の聖書、英英辞書、英語版聖書の解説書など、引っ張ってきて語りました。 ギリシア語から直接訳された日本語訳にもいくつかヴァーションがあって、やっぱりその時代という背景、そして訳者の考えが盛り込まれて、少しずつ日本語の表現が違っています。 また同じものを読んでいても、読み手の経験、感じ方、その時心の中にあるもので、響いてくるものが違っています。 そのことが悪いか、と言えばそんなことはないと思います。そういう見かけ上の違いはあっても、根本的に伝わるべきものはきっとどこかできちんと伝わっていく、それが良き知らせ(福音)というものです。
昔私たちが若かったころ、この祈りの部分はこんな風になっていました。
シスターはおっしゃいました。 なるほどね~、私はそんなこと考えもしなかったんです・・・。 私が誰かのことを赦す。 「傷ついた 」と思っていたけれど、実は「傷」なんてどこにもなかったんだ、と分るとき。 理屈から心が離れ、そのままを受け入れるとき、 その人の幸せを願うことができるとき ・・・ 赦しにはいろんな姿があるのだと思う。でもどれも「神さまにすごく愛されています」、という表れの姿ですね。 「4私たちの罪を赦してください、私たちも自分に負い目のある人を皆赦しますから。」 自分が気が付いていない「罪」の方がよほど多いだろうと思うので、心からこう「祈れる」ようでありたいと思います。 そして「私たちを誘惑に遭わせないでください。」という祈りも忘れないでいましょう、父の守りは私たちに自信と勇気を与えてくれるはず。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[聖書の世界] カテゴリの最新記事
|
|