本日の深読箇所はマルコ12章38~44節まで。本文
律法学者やお金持ちの人々の振る舞いにがっかりするイエスの姿と貧しいやもめの行いに心動かされるイエスが描写されています。
やもめのように自分の持てるすべての財産を献金する、ということはとてもじゃないけれども、私にはできそうにないこと。
でも私は思った。 このやもめは今までの貧しい生活の中で、お金を持たずとも神様が私たちを養ってくださる、とはっきり思えるほどの体験を持っておられたのだ。
だから何の躊躇もなく自分の持っているお金、すべてを賽銭箱に入れることができた。
彼女はきっとニコニコと喜びいっぱいで賽銭箱にお金を入れたと思うのです。
もしこのお金が誰かの必要を満たすのなら、こんなに嬉しいことはない、と・・・。
いつだったかマザーテレサの本を読んでいたとき、同じようなお話が書いてあった。
しばらく何も食べていない様子の家族のところに行って、食料を届けたら、そのお母さんはすぐに立って、「お隣の家族は、私たちよりももっとお腹すかしているの。半分届けに行ってきます。」と喜び勇んで食料品を持って出かけられた。
持たないものが持っている最高の喜び