はるかなるイタリア 番外バンコク編 2
バンコクでのミニ半日観光もして、機嫌よく帰国すべく空港に向かいました。午後2時ごろの便でしたが、早めに11時ごろには空港に着いてタイ航空のカウンターで、搭乗券を受け取ろうと航空券を見せたところ・・・・・・ななっなんと あなたたちの乗る便は今離陸するところだと。ハッアー? ナニ? ドウイウコト? トラブルじゃぁー! 話を聞いてみると午後の便ではなく今離陸中の便にブッキングされていて、何度も空港内アナウンスで呼び出しもしたよと(呼び出されてもこっちはまだその時には空港にいないんだし)。 でどうして昨日の時点でリコンファームしなかったのかと逆に聞いてくるわけ・・・・・・・そこで反論! ローマのオフィスでリコンファームした時、バンコクからの午後の便にブッキング出来たと言われ,その便名の記載された書類(簡単なものですが)もある! ローマで、念のためにバンコクでのリコンファームは必要かと聞いたらその必要はないと言われた! と毅然とした態度でキッパリとじゃなくて、下手な英語でシドロモドロになりながらなんとか伝えると・・・・・・・・じゃあ次の便(我々が乗るつもりでいた便)のキャンセルがでたら優先的に席を取るから、1時間後にまたこのカウンターに来てくれと言われて、それ以上あれこれ言ってもしょうがないので,男二人スゴスゴと引き下がり、空港内でお茶をして待つことにしました。 二人ともあまりしゃべらず、次のに乗れなかったら明日になっちゃうかなとか、そうなると仕事場に国際電話で連絡しなきゃとか色々考えて、待つことしばし1時間後にカウンターに戻ると、あー良かった二人分席が取れていました。 後から考えれば、最初から席はあったけどタイ航空が値打ちをつけるのに,1時間待たせたのかなとも思いましたが、まあそれでも予定していた便に乗れまして,無事大阪伊丹に帰りつくことが出来ました。最後の最後に思わぬトラブルもありましたが,89年のイタリアの旅もこのようにして終えました。 つづく追記 この時一緒に旅したM君はその後独立してイタリアレストランを開業しましたが,先年40才代後半で亡くなってしまいました。イタリア旅行中はほったらかしにしたわけではないですが,そんなに世話もしなかったので、もう少し親切にしていたら良かったかななんて,これを書きながら思いました。この旅を終えてから17年、17年もたつと色々なことがあり、そして移り変わっていきます。