一手間を楽しむ
便利になりましたね。家庭でも会社でも、生活のほとんどが他人任せに済ませる事ができてしまいますよね。便利になるようにと、いろいろと、ものを考え実行した成果の結果なのでしょうけれどもね。トヨタ方式に代表されるライン生産により、ものを考える熟練工の必要をなくしてきたのですが、団塊の世代の退職が目の前に迫り、ものを考える人のいなくなる事の重要さに気付いてか、「職人がいなくなる」などと、世間では今になって、あわただしい事です。今、ものを考える事の出来る人と、考えないで済ませる人の差が、グンと開いていると感じいていますが、どうでしょうか。メディアでも、物事の現象のみを伝えてはいますが、事の起こりや本質に迫る考えるという力がなくなっていると考えます。ですから、妙に、最近、訳の分からない評論家が増え、考えるのは彼らに任せているのではないかと思えます。選挙でも、投票する人がいないからとか、投票しても政治が変らないから、などと言っている人が多いですが、本当に、そうなのでしょうかね。良く考えると、この選挙に行かない事が、基本的に政治だけでなく社会を悪くしているのです。直接に利益や不利益をこうむるのは、私たちなのです。処が、一部の企業の利益優先で政治や社会が構成され、選挙も一部の受益者により行われているのですから、われわれの為に政治が行われる事はないのですから、選挙にいかない人にとって良い政治や社会になる訳がないですよね。いかん!又、脱線していましました。とにかく、何でも良いですから考えてみましょうよ。着物を上手に着付けると裾が乱れないかわりに裾裁きが悪い事があります。そこで、私は考えました。着付けが出来上がったら、膝を前に折るとともに”グイ”っと外に開くのです。そうすると、裾捌きがスゴク良くなります。お試しを。一つの物事を繰り返し行うという事で、考える力が付いてくると言います。着付けも、教室で学ぶだけでなく、考えるという事で、自分自身の身に付いた着映えする着付けが出来るようになります。考える一手間を楽しみましょう。やっと、庭の椿が咲き始めした。