白い一日…「陽水トリビュートアルバム」
いつものようにラジオを聴きながら風呂に浸かっていたら井上陽水トリビュートアルバムから玉置浩二の「白い一日」がかかった。感傷的でちょっとまずいなと思いながら聞き込んでしまった。やっぱり楽曲が素晴らしいのだ。今月に発売されたこの陽水トリビュートは最近よくFMでかかっている。坂崎幸之助の番組ではほとんど全曲流していた。陽水のベスト中のベストが選曲されていて改めて楽曲の凄さを痛感してしまった。なかでもELTの持田香織の「いつのまにか少女は」、玉置浩二の「白い一日」そして清志郎さんの「少年時代」が良い。今回のトリビュートはベストのベスト選曲だから、まだまだ陽水さんの作品をチョイスできてしまう。選曲し唄える歌手がいるなら簡単に第二弾、三弾も作られてしまうだろう。しかしふとここで考える…。なぜいまトリビュートなのだ。これだけのヒット曲と素晴らしい楽曲があるのならもっと前に作られたって良かったはずだ。どうも最近の陽水のオリジナル新曲が頭に残らない。どうも最近の陽水はカヴァーにはしっている。さすがの陽水も枯渇してきたのだろうか?拓郎さんはそれなりにラジオのパーソナリティーやテレビ番組で活躍している。精力的にコンサート活動や相変わらず拓郎節の新曲を出している。「アーティスト」という枠のとらえ方というより「生きざま」とか「生き方」いうとらえ方のほうが大きいように思う。しかし陽水さんはやっぱり「アーティスト」というとらえ方の方が強く当てはまる気がする。拓郎さんの歌い方や声は古いも新しいもないが、どうも陽水さんの声や歌い方はその時代のものなのかも知れない。つまり陽水さんの声にいま飽きがきているような感じがしている。ボクはあの奥田民生とコラボレートした「ありがとう」を聴いたときに妙な違和感を感じた。奥田民生の声や歌いまわしは明らかに「いま」のものだが、陽水さんはちょっと古い感覚に聞こえたのだ。だからこそ陽水さんが歌わせないで他の誰かが歌ったのではあるまいか…。楽曲とその素材は余るほどあるのだから。今回のアルバムで奥田民生が「リバーサイドホテル」を歌っている。完全に自分の歌にしているのだ。興味深かった。しかし…「白い一日」だよ。この「感傷」と「無力感」はいったい何なのだ。玉置浩二の歌唱は素晴らしい。いまこの名曲は玉置浩二のものになったように思う。 「白い一日」 真っ白な陶磁器を ながめては飽きもせず かといって触れもせず そんなふうに君のまわりで 僕の一日が過ぎてゆく 目の前の紙くずは 古くさい手紙だし 自分でもおかしいし やぶりすてて寝転がれば 僕の一日が過ぎてゆく ある日 踏切りの向こうに君がいて 通り過ぎる汽車を待つ 遮断機が上り ふり向いた君は もう大人の顔をしてるだろう この腕をさしのべて その肩を抱きしめて ありふれた幸せに もちこめればいいのだけれど 今日も一日が過ぎてゆく 真っ白な陶磁器を ながめては飽きもせず かといって触れもせず そんなふうに君のまわりで 僕の一日が過ぎてゆく 小椋桂 作詞 井上陽水 作曲