「おふくろの味」
テレビドラマをそんなに観てる訳じゃないが、いまオダギリ・ジョーが主演しているテレビ朝日系で放映されている「時効警察」が抜群に面白い。先日ドラマの場面でオダギリの上司(なんと岩松了!)がこんなセリフを言った。「子供の頃、病気で寝込むと母親が缶詰をあけてくれたっけ」たしかにボクの母親もよく桃の缶詰や蜜柑の缶詰を開けてくれたように思う。それよりも生のリンゴを摩り下ろしてスプーンで食べさせてくれたのが嬉しかった。しかし記憶は曖昧だ。いまにして思うとあのとき母親は何所からリンゴを調達してきたのだろうか?そして鮮明に覚えているのは片栗粉と砂糖を溶いて葛湯もどきを作ってくれたこと。どこかの新聞のコラムに書いてあったが著名な料理人の根底にあるものはみんな「おふくろの味」なのだそうだ。ボクが卵料理が好きなのは母親がいろんな卵料理を作って食べさせてくれたからに違いない…。夕べの残りの天ぷらを天つゆで煮込んで卵でとじてくれるのが好きだった。朝なにも食べないで学校に行こうとすると、おせっかいな母は「体に悪い」と決まってボクの味噌汁に半熟卵をひとつ落としてくれた。なかでも母親が作る高野豆腐の卵とじとニラ玉の味噌汁が大好きだ。ときに想いだした様にそれが食べたくて実家に駆け込むけれど母親はめんどくさがってもう作ってくれない。だからボクは絶対に天丼よりカツ丼が好きだ。大学生のころこんな体験をしたことがある。群馬県高崎市に友だちがいて遊びに行った時のこと、さてメシでも食おうかとボクらは街の食堂に入った。迷わずにボクらはカツ丼を注文したが運ばれてきたそのどんぶりのふたを開けて驚いた。ご飯の上に包丁で切ってもいない揚げたカツが、ただ、ど~んと乗っていただけのものだったのだ。思わず友だちは「これって何ですか?」と聞いた。店のオヤジはヒョウヒョウとして答えた。「カツ丼ですよ。なにか?」「あのう、卵でとじてないのですが…」店のオヤジはまたヒョウヒョウと答えた。「メニューよく見てくださいよ、学生さん。うちはソースカツ丼、カツ丼の卵とじ、そしてただのカツ丼の三種類があるんですわ」ええ?そういうのってありなのですか。ボクの中にもまぼろしの味というものがある。以前に勤めていた会社の近くに「マスター」という名の食堂があった。どんぶりからカツがはみ出しているヴォリューム満点のカツ丼とニラレバ定食が絶妙だった。その会社を辞めた後、懐かしくて二、三度わざわざ食べに行ったけれど、そのあと想いだして行ってみたらもう店はなくなっていた。そして自分の中で勝手に追い求めている最高のまぼろしの味がある。それはボクが幼稚園で食べた煮込みうどんの味だ。数十年の時を経てたぶん、おのれの中でその味はきっと変化し美化されているように思うけれど、ボクのこの舌と脳は今でもあの味覚をはっきり記憶しているのだ。ヒラタ先生というとっても優しいオバサン先生がいてときどきそのまぼろしの煮込みうどんをアルマイトみたいな小さな器に盛りボクたち園児に食べさせてくれた。それがとにかく美味しくていつもいつも楽しみにしていたように微かに思う。あのうどんは誰がつくったのだろうか…。とうに亡くなったであろうヒラタ先生のオリジナルだったのだろうか…。でもこうしてブログを書きながら舌をそっと転がしてみると、ヒラタ先生の煮込みうどんの味と母親が作ってくれた煮込みうどんの味が脳の中で交差して、もしかするとおふくろの味と勘違いしているのではないかとふと思った。