「たむたむたいむ」再考。
またちょっと、かぜ耕士さんのことを書いてみようと思う。かぜさんがニッポン放送版「たむたむたいむ」のパーソナリティを担当していたのは1973年から1978年までの5年間だ。月曜から金曜日までの深夜0:10分から0:30分までの20分番組だった。大石吾郎の「コッキーポップ」のながれで聞きはじめたのがきっかけでいつしか夢中になった。かぜ耕士って何者だ?と思っていたら案外自分の身の回りで名前を見つけることが出来た。小室等のファースト・アルバム「私は月には行かないだろう」で何曲か作詞で参加していたのだ。後に上条恒彦がカヴァーした「アルカディア」と春日八郎や加藤登紀子さんも歌っていた「おさみし谷の別れ歌」がそうだった。それよりも改めて感動したのは、あのシング・アウトでヒットした「涙をこえて」の作詞がかぜさんだったからだ。かぜさんはいつもリスナーからのハガキをきちんと受け止めてくれていたし、ウキャウキャよく楽しく笑ってくれたしそんな軽妙洒脱な語り口が大好きで当時マスコミにも取り上げられるほどの人気パーソナリティだったように思う。実はボクより妹の方が早く夢中になっていてかぜさんの著書「さよならの待ち伏せ」を持っていた。なぜまた、かぜさんのことを書こうとしたのは、今、話題が豊富で機知とユーモアを持ち合わせて、きちんと自分の考えを話せるパーソナリティが見当たらないからだ。ボクは別に朝から晩までラジオを聴いているわけでもないので何処かに面白いパーソナリティがいるのかも知れぬ。以前にグチをこぼしたように地元ラジオの民放局アナは最悪だ。また同じような事を書くけれど、劇作家で俳優の唐十郎(からじゅうろう)さんを(とうじゅうろう)と平気で言うし、あの大貫妙子さんへの電話インタビューでは、まるで売れない二流歌手のように取り扱っていたこともある。つまりまったくリサーチしていないのである。勉強していないのである。こんなこともあった。あるバンドのインタビューで「いやあ、いつも凄いライヴですね。まさに観客と一体になった感じですよね」と言いながら、話が最後の方にいくと実はそのバンドのライヴをまだ一度も見たことがないことが判明した。だったら最初から「まだライヴ未体験です」って言えばいいのだよ。いまは話せるパーソナリティは必要の無い時代なのかもしれない…。でもボクはいまでもラジオは大好きだし大事な情報収集の場でもある。そりゃ、好みの音楽をバシバシ掛けてくれる番組も良いが、ちゃんとその音楽の解説やパーソナリティの個人的な評価も聞きたいのだ。となると、自分の趣味からいうとピーター・バラカンさんが一番かな…。だってヴァン・モリソンやユッスー、サリフ・ケイタなんか他で絶対(?)掛からないもの。あとはやっぱり萩原健太さん、そして山下達郎さんのトウキョウFM「サンデーソングブック」は大のお気に入りだね。ああ…かぜさんの声が聴きたいな。いまどこかでしゃべっているのだろうか?むかしは長髪でかっこよかったけれど、何かの雑誌でいまのかぜさん見たらやっぱりオジサンになっていたなあ。でも、あの声だけは変わらないで欲しいよ。