キリクと魔女
「なぜ」「どうして」と問い続けるキリク、コミュニケーションの基本を見たような気がします。フレンチアニメ「キリクと魔女」を見ました。フランス国内での興行成績650万ドル、観客動員130万人で、アニメ史上1位という輝かしい記録を持つ映画です。今話題のフレンチアニメ「ベルビル・ランデブー」の公式ホームページでは、この映画の観客動員が100万人と書いてありましたので、キリクはもっと売れた映画ということになります。舞台はアフリカ、胎内で母親に話しかけ、自分で産まれてきたキリクは、出産直後から風のように走れるスーパーベビー。村中の男を食べてしまった(純粋な意味で)と言われる魔女カラバを退治に向かっていた叔父さんを救い、魔女にさらわれるところだった村の子供たちを救います。キリクがいつも口にするのは、「なぜ魔女カラバは意地悪なの?」彼はつねに問い続けるのです。「なぜ」「どうして」「Pourquoi?」ついにキリクは、賢者のお祖父さんから、魔女の秘密を聞くことになるのです。それは、キリクが常に問い続け、考え続けるひたむきさへの見返りなのでしょう。そしてさらに驚きの結末が…。あるものとして受け入れるのと、常に問いかけるのとでは、大きな違いがあります。受け入れるということが、すなわち思考停止と同意義の場合が多いからです。疑問を持つと言うことは、ビジネスシーンでのコミュニケーションにおいて、たいへん重要なことです。たいていの人が答えに窮する質問が、この「なぜ」ではないでしょうか。「なぜ、そのやり方がいいと思うの」「なぜ、売れないと思うの」「なぜ、この商談は負けると思うの」普段の仕事ではかなりの部分、すでに知っていること、今までのやり方でやることなど、大半が既知の作業だと言えるでしょう。脳の大原則、慣れる、ということは、それだけ疑問を持たなくなってしまうと言うことなのです。それでは、ブレークスルーを実現するアイデアを生むのは至難の業だと言わなければならないでしょう。そんな中で、常にキリクのように、「なぜ」「どうして」と疑問を持ってみることが、日常の仕事や生活に新しい見方を与えてくれるのではないでしょうか。机の上に、キリクの人形でも置いてみて、「キリクならなんと言うかな」などと考えるのもまたいいかもしれません。それにしてもこの映画の色彩、さすがフレンチアニメというか、すべてのシーンが絵画のようで美しく、まさに傑作と言えるでしょう。城下町けんぞう