小さな中国のお針子
最近話題の中国である。前から見たいと思っていたのだけれど、レンタルビデオショップの「話題作コーナー」とか「新作コーナー」とかに置いていなかったので、つい見逃していた。青春映画である。1971年、毛沢東の文化大革命真っ只中が舞台であるというのに、主人公の青年2人はイケメンであった。青春映画だと思ったのは、まさにラストシーン近くで、それまでは自分の中では恋愛映画のカテゴリーであった。冒頭のシーンは“紅衛兵”を称える歌から始まるので、はっきりいって、「うさんくさいなあ」という感想を持ちながら、眼の方は画面の絶景に吸い寄せられる。マチュピチュの空中庭園などものかは、というばかりの高地。1000段以上の石段を登った上にある村が舞台なのである。見ているだけで高山病になりそうな、峨々たる山と緑があふれて、酸素の薄い中、2人の青年と1人の少女のロマンスが繰り広げられる。いい映画だった。正直な感想である。プロレタリア文化大革命(1966~1976)では、農村などに働きに行かされる、再教育というものがあって、監督のダイ・シージェの実体験に基づいている。文化大革命を支持した学生たちを、田舎へ派遣した毛沢東の政策である。「中国の隔絶」と、私に直感を与えた山村は、今の時代には考えられない頑迷固陋、それ以前にモノがなにもない。時計すらなかったのだ。そして全員文盲。それが27年経った後で主人公のマーが訪ねてみると、大きなパラボラアンテナが地べたに置いてあった。ともに親に医者を持ち、バイオリンも弾けるハイソな彼らとは、まさに水と油。それにしても毛沢東、本を焼くとは大胆な文化の否定に出たものである。歴史上本を焼いた大きな事件というのは、まずナチスドイツ。これは「インディアナ・ジョーンズ-最後の聖戦-」でもやっていたからご存知の方も多いだろう。それから、焚書坑儒。これも中国、秦の始皇帝の行った思想統制政策のこと。始皇帝は紀元前213年、農業、医学、占いに関する書物以外のものを全て焼き払い、また同時に始皇帝に従わない儒教学者を生き埋めにした。イタリアでは、ルネサンスの時代、サヴォナローラという修道僧が、風俗本や絵画を焼いた。いずれにしても大きな罪だと私は思う。私など本が捨てられずに困っているというのに、あまつさえ焼くとは大胆。しかし、人間の知識欲というものは抑えつけても殺すことはできない。洞窟に隠した本を、マーとルオ、お針子の3人はむさぼり読んだ。そしてまさに本が彼らの人生を変えたのだ。それほど書物が人に与える影響力というのは大きいものがある。この映画のテーマもおそらくその辺にあって、マーとルオがひとかどの人間になったのも、ちゃんと勉強したからで、山村のプロレタリア貧農だった村長は、そのままで終わっていた。そして、村はダムができるので水没する。2人はお針子を探すが、香港へ行ったという情報くらいしかなくて、結局見つからない。彼女は2人の青春だった。そして青春は消えてしまうから美しく、それを取り戻すことはできないのだ。原作も同じくダイ・シージェが書いていて、映画プロデューサーが読んで48時間後に映画化決定までこぎつけたという。タイトルは「バルザックと小さな中国のお針子」ひとつ気になったところと言えば、このお針子(映画中に名前が一切出てこなかったので、ずっとお針子と書いている)は、泳ぎが妙にうまい。いやうますぎる。本を洞窟に隠しに行くシーンで、立ち泳ぎをしていた足を、私は素人ではないと見た。あれはシンクロの泳ぎ方だ。城下町けんぞう