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カテゴリ:こころ
人を殺すのがいけないのと同じように、
自殺はいけないことです。 キリスト教では、殺人が大罪であるように、神に与えられた命を奪う 行為として、自殺も大きな罪とされています。 一方、日本の文化の中には、自殺を容認する部分、ときには自殺を 美化する部分があります。 その文化の違いを踏まえたうえで、それでもなお、学校の教師たる もの、何があっても、自殺だけはしてほしくなかった。 私も日本人ですから、死んだ人に対して非難がましいことを言うのは 心苦しいです。だから、ここにも自殺のことは書かないでいました。 でも、今日のニュースで、自殺した校長のことを、 「生徒思いの完璧主義者で・・・」 と、かばうような口調で言っている教頭の話を聞いて、書かずには いられなくなったのです。 自殺する教師が「生徒思い」のわけがない、そう叫びたい気持ちが 抑えられないのです。 「死」はあまりにも暴力的に、すべてを終わらせ、すべてを拒否し ます。残された者は、死者に対しては、何も言えなくなってしまう。 残された者は、何も言えずに、その「死」を心の内にかかえこんで、 ずっと生きていくのですから。 ふと思い出しました。 中学時代、時間にとてもうるさい先生がいました。その先生は、新人 の頃、ときどき授業に遅れていたのが、あるとき、校長にこう言われ て、それ以来絶対に遅刻しないようになったそうです。 「あなたは、たった5分と思っているでしょう。でも、40人の生徒 にとっての5分というのは、200分の遅刻と同じなんですよ。」 たった5分は、ただの5分じゃない。 一人の教師が自殺するとき、それは50人の、100人の、500人 の心に、一生影を落とす500の「死」になるのです。 それを考えたら、「生徒思いの」教師は、決して死ねない、死ねるはず ないじゃありませんか。 お願いです、もう、死なないでください。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2006年11月07日 02時45分32秒
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