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カテゴリ:本・音楽・映画等
地下鉄車内のドア横の、「累計○万部達成!」とか「強運・金運」といった釣りに掛かりやすい人をターゲットにした広告がしばしば貼られているにエリアにカタカナで「ゲルハルト・リヒター展」と書かれた広告を見た私は一瞬我が目を疑ったが紛れもなくあのドイツを代表する現代画家Gerhard Richter の展覧会の広告であった。私自身は最後に絵を描いてから25年、さらにはアメリカの学生時代に描いた作品をすべて実家の父に燃やされてから15年が経ち、展覧会に脚を運ぶこともなくなって久しいが、Gerhard Richter となれば話は別である。私は即座にネットで調べ、国立近代美術館で個展が開かれていると知り、何も予定を入れていなかったお盆休みの某日、地下鉄で竹橋に向かった。 どうしてGerhard Richter となると話が別かというと、アメリカで絵画を学んでいた30年前、同氏の作品に大きな影響を受けたからである。アメリカに住んでいた時にも同氏の作品を見たことが何度かあるし、たしか20年くらい前に日本に住んでいた時期にも東京のどっかに同氏の展覧会を見に行ってその翌日、案の定朝に目が覚めず、会社に大遅刻した記憶がある。話は逸れるが、私はその以前にも展覧会に行った翌朝(その時はたしかNew Yorkに住んでいてCy Twomblyの展覧会であった)に目が覚めず、会社に大遅刻したことがあり、今回は慎重を期して翌朝に予定を入れていないお盆休みを選んだ次第である。 あの、抽象と具象の狭間を行く独自の世界は画集で見ても十分面白いが、筆使いとか絵具の盛り上がりとか作品のスケールから来る切迫感は作品にリアルで対面しないと味わい難い。彼は近年、squeegee とよばれるヘラを多用しているらしく、ペインティングナイフと同様に厚塗りされた絵具をヘラでベロリと引き伸ばして偶然に得られる効果を巧みに利用している。その効果というのは、荒々しさとか生々しさとか、場合によっては痛々しさとか、異次元感とか、画家が筆でちまちまと描いても表現不能な効果である。 彼の作品にはイメージとは何か、像とは何かを問いかけるドイツのゲシュタルト心理学みたいなドイツ現代思想みたいな趣があるが、今回の個展の最初の部屋は同じドイツでもアウシュビッツがテーマになっていた。部屋の正面の壁を覆い尽くすのは高さ2.5m幅10mくらいの灰色のガラス(暗い鏡)。その両サイドの壁には、squeegeeで描かれた高さ2.5m幅1.5mくらいの絵画が横並びに4枚、その反対側にはその4つの絵を写真に撮って同じサイズで印刷したプリント作品が模造のように向かい合わせに陳列されている。これらの絵はどれも凄惨な赤と絶望的な黒を基調にした抽象画なのだが、それらの厚塗りの絵具の合間から人間の肉体を想起させる肌色や、森の中を思わせる緑色がチラホラと垣間見られる。squeegeeで上塗りを重ねられた黒と赤の絵具はとにかく陰惨で、そのような馬鹿でかいパネルに囲まれていると辛くなって部屋に真ん中に座り込みたくなる。部屋の入り口横の壁には小さなモノクロームの写真が4枚掲示されている。アウシュビッツで隠し撮りされたユダヤ人の死体処理を遠景で撮影したピンボケ写真。この4枚の写真がこれら4つのパネルのモチーフであったことに気づき、直前に見た4つの絵画の陰惨さが一層重みを増す。 展覧会の前半はここ10〜20年に描かれたsqueegeeを多用した大きめの抽象絵画。真ん中の部屋は彼の60年にわたる作家生活の代表作の展示室。例のグレイペインティング(灰色の絵具を刷毛でテクスチャをつけて規則的に厚塗りした作品)や、モーターボート・ライドに興ずる4人の男女のモノクロ写真をピンボケでキャンバスに再現した作品(実際は、スライドをピンボケで投影したのを見ながら描いたらしい)、色さまざまな細いストライプを端から端まで10mくらいに渡って伸ばしただけの作品など、画集かどこかの美術館で見た作品。後半はRichterが写真を元に描いたポートレート作品。驚いたことに、その中には何とRichterが65歳くらいの時に出来た自分の息子の乳児写真のポートレートも含まれる。驚いたというのはもちろん彼が65歳で子供を作っていた事実。母親はどう考えても自分の娘であってもおかしくない年齢であろう。Richterは要するに65歳で子供が作れるくらいの健康体なのである。 展覧会の終盤はハガキサイズの写真にペイントを塗り重ねた習作みたいな作品集と、「アラジン」と名付けられた、ガラスにラッカーペイントか何かを載せて別のガラス板か何かで圧迫してガラスの向こう側から見せた作品シリーズと、コロナで屋内にこもっていた時期に描かれたとおぼしき抽象ドローイング集。写真にペイントを塗り重ねた習作みたいな小品は、彼の抽象画が風景画などの具象画に見える理由のヒントになる。実はRichterはキャンバスに下塗り的な「具象画」を描いた上でその上にペイントを厚塗りしてSqueegeeで抽象画化するという作業を通して、具象が「透けて見える」抽象画を描いているのだろうと感じた。 Richterは1930年くらいの生まれなので御歳90歳ちょっとのはずだが、ビデオを見た限りとても90代とは思えない背筋のしっかり伸びた若々しい爺さんである。私ももうすぐ還暦で赤いチャンチャンコを着る年齢だがRichterから見れば小僧もいいところで、まだ向こう30年の間に子供を作ったりアウシュビッツのような人類史上の問題を扱った意欲的な大作を作成したり、まだまだやることが山ほどある立場なのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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