カテゴリ:天文学
すべては相対だと書きました。
愛と憎しみは相対存在ですが ふたつはひとつです。 善と悪 光と闇 ふたつでひとつです。 すべてもものはひとつに帰結します。 この最初のひとつを かむなからのかみは「根元」としました。 この「根元」を見ようとするとき 人間にはふたつの方法があると思います。 それは人間にもこの点において2種類あるからと考えます。 ひとりは、いきなり「わかる」です。 もうひとりは、なにも「わからない」です。 私は人類で最初にわかった人が、 ブッダ、お釈迦サマだったと思っています。 このわかってしまう人はけっこう多いと考えています。 愛する人の死、何気なく見ていた雲、ミクロの世界をさがしていて。 しかしこの「わかる」ということには欠点があります。 いきなりわかってしまうので、他の人に伝えられないのです。 ですからブッダ自身が書き残したものは皆無です。 このブッダが見たものはなんだったのかを再見しようとしているのが 仏教ではないでしょうか。 いっぽう私は完全なる「わからない」タイプです。 ですから幼稚極まりない疑問からスタートするしかありませんでした。 ですから「かむなからの人の小集団」の中で どれだけ「あほなやつ」と笑われたでしょう。 しかし私は今でもこの旅を続けています。 一歩一歩積み上げて「根元」に迫るしかありません。 しかしこの旅を多くの人と続けるならば 多くの人が「根元」に近づける可能性があります。 そこで無知を公開することにしました。 ほんとに最近になって かむなからのかみはブッダ方式を採らず 無知からの積み上げ方式で 人間に自ら知るという努力をさせようという意図が 読み取れるようになって来ました。 教えられて「知る」ではなく、自ら考えて「知りなさい」 これを「識る」という。 動物の中で「識る」ことができるのは人間だけである。 かむなからのかみの言葉です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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