安東(アンドン)へ行ってきました♪(4・最終回)「陶山書院(トサンソウォン)」
とうとう釜山方面も梅雨に突入しました。今日は当然雨で、とてもじめじめしていて、洗濯物が乾かなくて困っています。☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆先月のこどもの日(オリニナル)に安東(アンドン)へ行ってきたのですが、まだそのときのことを書き終えていませんでした。今日はその話の最終回です。今までのお話はこちらからどうぞ。>>安東(アンドン)へ行ってきました♪(1)「ホッチェサパプ」 >>安東(アンドン)へ行ってきました♪(2)「ウォルヨンギョ(月映橋)」 >>安東(アンドン)へ行ってきました♪(3)「海上撮影場とモーターボート乗り」安東湖(アンドンホ)でモーターボートに乗った後は、「陶山書院(トサンソウォン)」へと移動しました。でもここは市の中心地よりもさらに車で20~30分くらいのところにあるので、車がないと行くのは大変だと思います。ところで「陶山書院(トサンソウォン)」とはどんなところなのでしょうか。プサンナビから詳細を抜粋しました。陶山書院は元々儒学者の退渓・李滉(テゲ イ・ファン:退渓は号、1501~1570)が学問研究と人材育成のため1561年に建てた教育施設です。 当時は、退渓が後学を教え自身の研究をした『陶山書堂』と弟子たちが勉強し起居した『ノン雲精舎』の二つの建物しかありませんでしたが、退渓の死後、1574年に退渓を慕う門人や儒学者らが儒学学校として増築し書院に発展させました。翌年には当時の王である宣祖が退渓の功績を偲び 「陶山書院」 と書かれた扁額を与えています。 退渓・李滉は韓国の千ウォン札に描かれている人物で、以前発行されていた旧千ウォン札の裏には陶山書院が印刷されていました。旧札はまだ出回っているので手に入ったら一度見てみてください。 では「陶山書院(トサンソウォン)」をご案内します♪まわりはこんな感じでとてものどかです。目の前の安東湖の反対岸には「試士壇(シサダン)」がありました。これはパンフレットによると、1792年に国王(正祖16年)が退渓先生の偉業をたたえ、また地方の儒学者たちの士気を昂揚するため、王命による特別の科挙「陶山別科」を行ったところだそうです。正門の次にある「進道門」をくぐると…。「典教堂(チョンギョダン)」があります。パンフレットによると、書院の中心になる建物であり、宣祖7年(1574年)に建てられた大講堂だそうです。ここで師と弟子が学問を論じたそうです。先ほどの「典教堂」の左右には東西二つの建物があり、こちらは西側の建物で、「弘毅斎(ホンイジェ)」という陶山書院の儒学者たちが勉強した建物だそうです。これが「陶山書堂(トサンソダン)」です。先生が苦労して4年もかけて建てた小さな建物です。小さな建物の中には学問の研究室と弟子を教えた板の間があります。昔ながらの台所も残っています。このような昔ながらのかまどを「アグンイ」といいます。正門の近くに変わった木が立っていました。その木の前で記念撮影♪ついでに私も♪というわけで、私の初めての安東(アンドン)観光はこのようにして終わったのでした。といってもまだ回っていないところもまだたくさんあるので、またいつか安東へ訪れたいと思います。ブログランキングへ参加中です。果たして現在何位でしょうか!?他にも韓国情報がいっぱいのブログがたくさんありますよ。↓↓↓海外生活ブログランキング☆衝撃価格!成田(関西、名古屋)発ソウル午後便利用がなんと9800円から☆☆韓国ドラマロケ地ガイド(’08)「太王四神記」から「朱蒙」「コーヒープリンス1号店」まで全22作59スポット紹介☆