4994998 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

浅きを去って深きに就く

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Freepage List

January 22, 2024
XML
カテゴリ:体験談

❖ 死は怖くない ❖

パソコンのモニターで見せてもらった映像には、多く腫瘍が赤く光って写っていた。それは体の一部ではなく、全身に広がっていた。ステージ4の末期症状、認めなければならない現実であった。

こんなに大量のがん細胞に侵されているのには、おそらく長い歳月がかかったことであろう。この間、全く自覚症状はなかった。これががんの恐ろしさ、一瞬呆然としたが結論はやはり唱題しかない、そこに行きついた。自分の考えでどうにかなる問題ではなかった。

池田先生の奥さまの小水内を携えて、女性部の幹部が所沢までいらしてくださった。その時「人生の総決算の題目を、一生成仏の題目を」というご指導を頂いた。

これまで随分と唱題を重ねたつもりでも、まだ足りない。病気の宿業はまだ残っていた。そして大きな戦いをした後にもっとも大きな宿業が出た。また御書にある通り、もう策はなく唱題あるのみ、そう思い奮起して唱題に励んだ。

死は一乗、生あるものはことごとく死ぬ。

私はもう85歳、母の死の年齢も、叔母の死の年齢も越えることができた。

私よりずっと健康だった親友たちも先立たれた。そう思った時、この年齢まで生きたことへの感謝の念が湧いた。死は怖くないと思った。

死を恐れる感情は消え、無欲の透徹した心境になり、わが人生に悔いなしと思った。

日蓮大聖人の生命尊厳の仏法の実践より、私の人生は暗から明へ、苦悩から幸福へと百八十度の転換をなしとげた。そう思えば、あふれるのは感謝の気持ちだけであった。

題目をあげて、あげて、あげぬいた。さまざまな感情が走馬灯のように巡った。

大聖人の仏法を生命の哲学と受け止め、実践したのは創価学会だけである。

ある宗派は、大聖人のごく一部の御文だけを取り上げ、生命の法理としては受け止めなかった。

したがって、ここの人間生命の変革などできようはずもない。幸福になるためには、自分が持っている命の悪い癖を是正しなければならない。その生命の変革の方途を教えてくれたのが創価学会である。

 

 

【古川智映子の負けない人生 第18回】聖教新聞2,022.9.5






お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  January 22, 2024 06:30:17 AM
コメント(0) | コメントを書く
[体験談] カテゴリの最新記事


Calendar

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

シャドウズ@ Re:アフリカ出身のサムライ 弥介(弥助)(10/08) どの史料から、 弥助をサムライだと 断じ…
ジュン@ Re:悲劇のはじまりは自分を軽蔑したこと(12/24) 偶然拝見しました。信心していますが、ま…
エキソエレクトロン@ Re:宝剣の如き人格(12/28) ルパン三世のマモーの正体。それはプロテ…
匿名希望@ Re:大聖人の誓願成就(01/24) 著作権において、許可なく掲載を行ってい…
匿名です@ Re:承久の乱と北條義時(05/17) お世話になります。いつもいろいろな投稿…

Headline News


© Rakuten Group, Inc.
X