死は怖くない
❖ 死は怖くない ❖パソコンのモニターで見せてもらった映像には、多く腫瘍が赤く光って写っていた。それは体の一部ではなく、全身に広がっていた。ステージ4の末期症状、認めなければならない現実であった。こんなに大量のがん細胞に侵されているのには、おそらく長い歳月がかかったことであろう。この間、全く自覚症状はなかった。これががんの恐ろしさ、一瞬呆然としたが結論はやはり唱題しかない、そこに行きついた。自分の考えでどうにかなる問題ではなかった。池田先生の奥さまの小水内を携えて、女性部の幹部が所沢までいらしてくださった。その時「人生の総決算の題目を、一生成仏の題目を」というご指導を頂いた。これまで随分と唱題を重ねたつもりでも、まだ足りない。病気の宿業はまだ残っていた。そして大きな戦いをした後にもっとも大きな宿業が出た。また御書にある通り、もう策はなく唱題あるのみ、そう思い奮起して唱題に励んだ。死は一乗、生あるものはことごとく死ぬ。私はもう85歳、母の死の年齢も、叔母の死の年齢も越えることができた。私よりずっと健康だった親友たちも先立たれた。そう思った時、この年齢まで生きたことへの感謝の念が湧いた。死は怖くないと思った。死を恐れる感情は消え、無欲の透徹した心境になり、わが人生に悔いなしと思った。日蓮大聖人の生命尊厳の仏法の実践より、私の人生は暗から明へ、苦悩から幸福へと百八十度の転換をなしとげた。そう思えば、あふれるのは感謝の気持ちだけであった。題目をあげて、あげて、あげぬいた。さまざまな感情が走馬灯のように巡った。大聖人の仏法を生命の哲学と受け止め、実践したのは創価学会だけである。ある宗派は、大聖人のごく一部の御文だけを取り上げ、生命の法理としては受け止めなかった。したがって、ここの人間生命の変革などできようはずもない。幸福になるためには、自分が持っている命の悪い癖を是正しなければならない。その生命の変革の方途を教えてくれたのが創価学会である。 【古川智映子の負けない人生 第18回】聖教新聞2,022.9.5