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カテゴリ:体験談
❖ 生死の寂照 仏国土 ❖ 初代・牧口会長は、命をかけて法を守られた。今の時代からすれば、明らかな冤罪で投獄された。 神道に由来する戦前・戦中の日本では、日蓮大聖人の仏法を信奉する創価学会は、異端の徒の集団として迫害を受けねばならなかった。 もしそうした状況におかれた場合、果たして自分は信心を貫くことができたであろうか。そう考えたとき、これまで自由に思いきり信心できたことを喜びとしなければならない。
満月や 生死の寂照 仏国土
池田先生から、母と共に頂いた句を心肝に染めて唱題した。動ずる心はもう消えていた。この不動の境涯にまで私を高めてくださった師匠と奥さま、そして学会の諸先輩に感謝の涙があふれた。 病院で、悪性リンパ腫の治療を受けることになった。 かかりつけ医は自分の出身大学の血液内科の教授に、紹介状を書いてくださった。 その病院は、私の家から自転車でゆっくり漕いでもせいぜい10分ぐらいで行ける。 病院ではがん細胞の組織を採取して精密検査をし、その結果、非ホジキンリンパ腫のうち節性辺縁帯リンパ腫であることがわかった。 この種のリンパ腫は、進行は遅い。しかし寛解は難しいといわれている。 抗がん剤投与の治療は、死ぬほど苦しいと聞いていた。嘔吐、発熱、体重減少、髪の脱毛など。でも私は、覚悟を決めて治療を受けようと思った。 脱毛に備えて防止まで用意した。この段階でも自覚症状はなく、胃には腫瘍がなかったので平常通りの食事をすることができた。 悪性リンパ腫の治療1日目は日帰りの入院であった。点滴薬剤の副作用を考えて1日入院し、副作用がなければ退院となる。重い副作用が出た場合は、帰宅せずにそのまま入院を続けることになる。
【古川智映子の負けない人生 第19回】聖教新聞2022.9.6 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 22, 2024 07:42:33 PM
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