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カテゴリ:心理学
新婚時代の苦悩描いた『道草』 心理療法家「まどか研究所」主宰 原田 広美 『こころ』を執筆後、漱石が48歳の時に書いた小説が、鏡子との新婚時代を描いた『道草』だった。漱石の逝去は次の年の年末だったから、職業作家9年目の晩年の作品になる。 芥川龍之介が漱石の門を叩いたのは、『道草』連載の後だった。それまでの作品は、自然主義の陣営からは、ロマンティックすぎると酷評もあったが、『道草』はより広く好評を得たのだ。 『道草』に描かれたのは、漱石がロンドンから帰国後の作家になる前の東京での生活。漱石の神経衰弱もかなり悪くて、関係妄想もあった。 夫婦間で煮詰まると、漱石は癇癪を起した。鏡子と言えば、神経症のヒステリー発作を起こして、体が反り返ったまま硬直し、意識がもうろうとする日々だった。 おまけに自分達も貧しかったのに、鏡子の父親は相場で大損を出し、漱石の養父も金の無心を申し入れてきた。 漱石は、鏡子の実家と自分達と2件共倒れだけでは避けたいと判断し、義父の連帯保証は断るも、養父には、巧妙な養父が実父と交わした古い声聞もあって、結局は大金も手放したのだった。 律儀な漱石には、これが養父に対する、いた仕方のない対応だと思われた。だが鏡子にすれば、あらかじめ巧妙な養父のやり口は分かっているのに、それを封じない漱石が歯がゆかった。 このような大きな思い違いが、癇癪とヒステリーとなって表れたようでもある。ちなみに鏡子のヒステリーとなって表れたようでもある。ちなみに鏡子のヒステリーの記録は、他にはないので、この時期だけで治まったらしいのは、幸いだった。 鏡子のヒステリーは、身体症状だったので、漱石は『道草』の中で、「取り乱すみっともない夫と、品格のある妻」と書いている。いわば高級官僚の娘だった鏡子は、感情を高ぶらせることなく、身体症状として、思いを表現したのではないか。 だが基本的には、人に対して「親切」でありたかった漱石は、鏡子が発作を起こすと、こころをつくして看病をしたようだ。強く出る者よりも、弱い者に惹かれるのが漱石の特質だったのか。 『道草』の中の夫婦は、健三と細君なのだが、実質的には、ほとんど実話的な小説である。
【夏目漱石 夢、トラウマ―28―】公明新聞2022.9.9 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
January 28, 2024 05:24:09 AM
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