どうにもならない状況の救いとなる「ネガティブ・ケイパビリティ」
どうにもならない状況の救いとなる「ネガティブ・ケイパビリティ」。まず、ネガティブ・ケイパビリティとは何なのか? この概念を作ったのは、イギリスの詩人ジョン・キーツ。「どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力」を指し、弟に宛てた手紙の中で1度だけ使ったとされている。恵まれているとは言えない家庭環境で育ち、身体が弱く、25歳でこの世を去ったキーツ。どうにも答えの出ない事態に向き合い続けた彼が、救いとした概念なのかもしれない。そして、キーツの死後から約160年後。第二次世界大戦に従事したイギリス人精神科医ウィルフレッド・ビオンが、心理臨床の場でこの概念を重視し広めたとされる。ビオンは、患者と接する時に、ネガティブ・ケイパビリティが大切な素養であると捉えた。「私はネガティブ・ケイパビリティを、どうにもならない状況でも、急いで答えを出さず自分なりの答えが現れてくるのを待つ力、と説明することが多いですね」と、ネガティブ・ケイパビリティを取り入れながら心理カウンセリングなどを行う松山淳さんは話す。評価されがちなのはすぐに答えを見つける「ポジティブ・ケイパビリティ」。逆の概念のポジティブ・ケイパビリティについても知ると、もっとネガティブ・ケイパビリティをイメージしやすいかもしれない。ポジティブ・ケイパビリティとは、「できるだけ早く答えを出して、不確かさや不思議さ、懐疑の中から脱出する力」、「問題に対してすぐに答えを出し『わからない』を『わかる』に置き換えていく能力」のことを指す。物ごとには答えがあり、それがスピーディに分かるのができる人であり優れた人である……。会社でも日常生活でも、私たちはポジティブ・ケイパビリティの方を評価しがちだ。「例えば、多くのビジネスパーソンが重視するロジカル・シンキングのフレームワークは、『わかる』ための効率的な思考ツール。会社では『わかる人は=できる人=優れた人』とみなされる傾向が強いことは、ひとつのあらわれです」。しかし、ポジティブ・ケイパビリティばかり重視するのは要注意、と松山さんは主張する。「世の中、1+1=2のように単純に理解できることばかりではありません。人間関係は特にそうです。人の心は複雑で奥深いものであり、上司が部下を、親が子を『わかっている』と考えていても、その『わかっている』ことは全体の一部にしか過ぎません。ポジティブ・ケイパビリティを重視して、わかったつもりになるのは危険。さらなる探求の機会を奪ってしまいます。答えや解決策を急がず、相手に歩調を合わせながら、ただゆっくり時間を過ごすというネガティブ・ケイパビリティの姿勢が大切なのです」。急がず何もせず耐えることも高く評価されるべき能力。日本人はネガティブ・ケイパビリティが高いと思う、と松山さんは分析する。「東日本大震災で世界を驚かせた礼節や寛容さ、高い忍耐力はまさにネガティブ・ケイパビリティです。日本は世界でトップレベルの自然災害が多い国なのが、ネガティブ・ケイパビリティが培われるひとつの要因だと考えます」。一方、教育やインターネットの影響で、一部の人のネガティブ・ケイパビリティが下がっているのが懸念されると続ける。「ポジティブ・ケイパビリティが高い評価を受ける教育、そして調べれば何らかの答えがすぐ手に入るインターネットの普及を背景に、ネガティブ・ケイパビリティを養う機会が少なくなっている人も増えているのだと考えます。何か苦境に陥った時、時間の経過に身を任せて上手な解決方法を考えるよりは、SNSで誹謗中傷をして自分のネガティブさを解消する人がいるのは、そのひとつのあらわれではないでしょうか」。ネガティブ・ケイパビリティを培うには、まず、急がず待つこと。何もせずただ耐えることも、高く評価されるべき能力だと理解すること。急いで答えを出して失敗した経験や、逆に待つことで成功した経験を書き出して内省すること。そして、ネガティブ・ケイパビリティを意識して行動してみることが大切だと、松山さんはアドバイス。「急ぎたくなったら、『人生には、どうしても時間のかかることがある』、『時間のかかることには、時間をかけるしかない』と言い聞かせてみてください」。不安は、人生を成功へ導く大切な感情。急いで解消せずに受け入れてみる。日本は不安遺伝子を持つ人の割合が、世界でも多いとされる。不安をマイナスととらえ、不安があると解消したくなるが、松山さんは「不安は、人生を成功へ導く大切な感情」だと話す。「不安のネガティブさにとらわれず、ポジティブな側面を理解してみて。不安があるから、人は準備をしリスクを回避できる。不安があるから大胆に性急に行動せず、ネガティブ・ケイパビリティを発揮できるのです。コロナ禍やウクライナ情勢、気候変動などのニュースが毎日流れる今は、不安や焦りがあって当たり前。不安や焦りはあっていいから、不安や焦りを感じながら、受け入れながら、仕事や家事など日々のするべきことを淡々としてみてください。それはとても尊いことです」。くよくよ悩むのも答えが見つからないのも、さほど悪いことではない。むしろ、安易な解決方法に飛びつくことなく色々と悩み続けるからこそ、見えてくるものがある。答えが出ずにイラっとするとき、不安を感じるとき、ネガティブ・ケイパビリティの概念を思い出してみるのはいかがだろう? 少し、肩の力が抜けるのではないだろうか。話を聞いたのは……松山淳アースシップ・コンサルティング代表、早稲田大学LRC(Life Redesign College)講師、研修講師 ・心理カウンセラー。2010年より、心理学者ユングの性格類型論をベースに開発された「性格検査MBTI®」を活用し、個人セッションや社員研修を行う。経営者、起業家、中間管理職などリーダー層を対象にした個別相談、社員研修、講演、執筆など幅広く活動。Editors:Kyoko Takahashi, Kyoko Muramatsu