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カテゴリ:心理学
#ひきこもり 〈インタビュー〉松山大学教授 石川良子さん 「ひきこもり」から学ぶ―― 〈聴く〉ことが〈生〉を支える。
――研究者から見た、ひきこもりとは? 家族以外の対人関係が、長期間なくなっている状態というのが一般的な定義ですが、私は、生きることを巡って葛藤しているありさまそのものが、ひきこもりだと思います。「ままならなさとの格闘」という捉え方になりました。でも、生きるということは、そもそもそういうことでないでしょうか。私たちの誰もがそうやって生きている。そうなると、「ひきこもり」という看板はいらなくなります。当事者は特別な人たちではない。「生きることの格闘」を、ものすごく劇的にやっている人たちなのだと思います。
――その本質は? 生きることや自分の存在に対する〝揺らぎ〟です。ひきこもっていることを白眼視され、なぜ、ひきこもってしまうのか自分でも分からない。長く身動きが取れない中で深い混乱に陥り、生きることに何の意味があるのか、生きていてよい存在なのかを問い始める。自問自答を繰り返し、それでも、なお生きようともがき続ける。こうした葛藤が「ひきこもり」の本質だと、私は考えます。
■「共感」より「納得」を ――苦しみが重ならないようにしたいですね。 本当に必要なひきこもりの支援とは、「本人が、きちんと葛藤に向き合えるようにする」こと。だから、それを妨げている〝ひきこもりは良くない〟という、周りや当事者自身の価値観を変えていくことが一番の支援だと思っています。 何より大事なのは自分を振り返ることです。私自身、自分のあたり前から見ると(当事者の)言っていることが分からないということがよくありました。でも、「分からないことをいっている、あなたがおかしい」ではなくて、「なぜ私は理解できないのかな?」「分かることを邪魔しているものは何だろう?」というふうに、相手のことが分からない自分自身と向き合うようにしてきました。
――ひきこもりの当事者との接し方で心がけていることは? 相手に〝納得〟することではないでしょうか。受け入れるとか、寄り添うとかいいますが、納得すれば、おのずと共感がついてくる気がします。 共感は、心の動きなのでコントロールできません。私も最初は、共感ありきだったから振り回されました。共感しなきゃいけないけれど、しきれない。もどかしい。だから共感を諦めて、もう一度、一から話を聞こうと思い直しました。 すると、聴こえてくる話が変わってきた。「働きたい」と言いながら動かない、なぜなんだ。こうした私のイライラは、当事者のことが分からないからなんだと思えて。共感することをいったん諦めたところで、当事者は生きることに向き合い過ぎているために動けなくなっているのではないかと気が付きました。
■ジャッジ(判断)しない ――とても大事な視点ですね。 向き合うのではなく、同じ高さで隣にいるようなフラットな関係を目指したいですね。肩書で見たり、特別視したりせず、「この人はどんな人かな」と、ただ見ていく。相手に興味を持つこと。それは、肯定や否定を抜きに「聴く」ことでもあります。私たちは、ジャッジ(判断)しがちですよね。認めてあげようというのも違う。他人が認めようが認めまいが「認める」というのはジャッジしているのだと気付きました。また、「あなたのために」は、実は「私のため」かもしれない。
――フラットなかかわり方が広がっていけば、社会全体も変わっていくように思います。 いろんな人が、もっと呼吸しやすくなるだろうなって思います。どんな相手に対しても、「何かあるんだろうな」と思って接していく。深刻なもので出なくても、皆、何かしら持っている。周りからすれば分からない、めちゃくちゃなことでも、よくよく話を聴いてみると、本人の中ではちゃんと筋が通っているんです。私自身、そのことが分かった時、面白いなって思いました。
――ひきこもりに関わったからこそ、学んだことは何ですか? 私は、いろんな話を聴くことに喜びを感じています。それは、突き詰めていけば相手を支えるためではありません。その人にしか語れない経験を聞くと、苦しさや痛みを含めて生きることの味わいを感じることができ、この世の中も捨てたものではないと思える瞬間があるからです。どんなに苦しくても生き抜こうとしている姿に触れると、私自身もへこたれずに生き抜いていこうと感じられるからです。 どんな話も私にとっては「いい話」で、語ってくれたことに感謝するばかりです。聴くことは、語った人の〈生〉を支えてくれるのだと思います。
【WITHあなたと】聖教新聞2022.12.3 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
March 19, 2024 06:39:20 AM
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