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April 21, 2024
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カテゴリ:コラム

自筆原稿の魅力

東京大学教授  安藤 宏

原稿用紙の文章と、それが活字になることの間には大きな距離がある。実はその距離にこそ、近代文化を生み出すパワーが秘められていたのではないだろうか。

むろん、近代以前にも独自の出版文化が栄えていたけれども、明治に金属活字が普及し、印刷物の読者は一挙に数万単位へと増加していく。

私的領域としての原稿と、公的領域としての活字の世界と。「公」になったら最後、もはや後戻りがきかない、という感覚は、私的領域――原稿用紙――での遂行をより一層促すことにもなるだろう。削除跡や書き込みに満ちた近代作家の自筆原稿は、まさにこうした悪戦苦闘の痕跡そのものにほかならない。原稿の筆跡からは、自体、書きグセ、執筆時の精神状態など、作者個人の身体的なオーラが濃密に立ちのぼってくる。私自身、そのオーラに見せられるきっかけになったのは、日本近代文学館「太宰治文庫」の自筆原稿の約三千枚を調査したのがきっかけだった。

それまではコレクターの専有物に近かった作家の自筆原稿について、近年、改めてその重要な文化遺産としての価値に光が当てられている。原稿が第一、活字が第二だとすると、言わば第三の媒体として、デジタル化、ネット化の動きが押し寄せてきたのである。太宰治、中島敦、小林多喜二らの自筆資料がDVDで購入可能になったり、また、オンラインでも、国文学研究資料館が「近代書誌・近代画像データベース」で一部作家の原稿の公開を開始するなど、新たな試みが広がりつつある。だがすべてはまだ緒についたばかりだ。高額であったり、ごく部分的な開示にとどまっているのが現状である。近代という時代を形作ってきた、公私の「あいだ」の世界に、第三の媒体によってどのように光を当てていくか、今後の動向が注目されるのである。

 

 

 

【言葉の遠近法】公明新聞2023.1.18






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Last updated  April 21, 2024 06:00:19 AM
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