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カテゴリ:紙上セミナー
社会に貢献する研究の道を 総神奈川学術部長 加部 義夫 【プロフィル】かべ・よしお 筑波大学大学院博士課程修了。神奈川大学理学部教授。理学博士。1958年(昭和33年)入会。神奈川県平塚市在住。本部書記長。
子どもたちに科学の楽しさを伝えたい―11年前から、大学のキャンパスや地元・平塚市の公民館で「夏休み親子科学教室」を開催しています。毎年、定員を上回る応募が寄せられ、公表です。 ガシャンと割れる〝ゴムボール〟バリバリと砕け散る〝花〟。マイナス196度の液体窒素で凍らせたものを壊す実験などを行います。子どもたちは、目を輝かせながら楽しんでくれます。 「なぜ?」と疑問を感じたところから、科学は始まります。肩肘を貼る必要はありません。現在、誰もが知っている法則や発明も、その元をたどれば、何げない疑問や関心から出発しています。 そうして気持ちを丁寧に育てながら、自然現象や人間の行動、社会の仕組みを、観察や実験を通して説き明かすことが科学の楽しさでもあります。 試験のための暗鬼に終始していては、〝科学離れ〟が進んでしまうでしょう。科学は本来、音楽や美術と同じように人生を豊かにする文化なのです。
問われる倫理観 私が専門に研究している「ケイ素」は、シリコンとも呼ばれ、半導体や太陽光パネルの原料をはじめ、幅広い分野で使われています。特に半導体は、スマートフォンや家電、銀行ATМなど、現代の暮らしに欠かせない存在になりました。 半導体の真価によって、期待されるのがAI(人工知能)です。人間のように自ら学び、考え、分析を行うAI。この開発が進めば、ますます生活が快適に便利になるでしょう。夢が膨らむ一方、危険もひそんでいます。 たとえば、AI技術が(自立型兵器)(キラーロボット)に応用された場合の懸念が挙げられます。自立型兵器は、人による優位な制御なしに標的を識別し、殺傷する能力が搭載されています。つまり、人間の生と死が、機械に委ねられることを意味します。 現在、人権、倫理、人道また国際法の観点から、国際社会でその法規制に向けた議論が行われています。SGI(創価学会インターナショナル)が、国際ネットワーク「ストップ・キラーロボット」に参画していることを頼もしく思います。 今後、AIはますます社会で利用され、大きな影響をもたらすでしょう。だからこそ、研究や開発に携わる側の倫理観や、技術を扱う上での規範が重要になります。 歴史をひもとけば。〝戦争に勝つ〟という大義のもと、科学が進歩してしまった負の側面もあります。その最たる例が核兵器でしょう。 大学の講義では、こうした歴史を紹介しながら、学生たちに「自分の研究が社会にどう還元されるか、深く考えてほしい」と語りかけるようにしています。 私は、創価学会の信仰を持つことで、「何のため」との目的観や、価値判断の基準を養うことができました。
長年の夢に向かって 20代後半の頃、アメリカのマサチューセッツ工科大学に留学。進取の気風あふれる環境でケイ素の研究に熱中しました。そんな時、日本から〝父が病に倒れた〟との知らせが―。帰国するため不眠不休で働いたり、日本との往復を繰り返したりするうちに、いつしか動悸が止まらなくなりました。極度のストレスから、パニック障害を発症したのです。 小学生の頃、思い腎臓病を、題目を唱える中で乗り越えた体験を思い起こし、信心を奮い立たせました。 また、研究室に閉じこもるだけではなく、学会の同志に触発を受けながら、仕事と学会活動に両立に挑戦。 40歳頃まで不安はありましたが、病のおかげで日々を真剣に生き抜く自身へと変わることができました。何より、悩み苦しむ人を大切にする心を育めたことは、生涯の財産です。今では病に感謝しています。 日蓮大聖人は、「智者とは、世間の法より外に仏法を行わず。世間の治世の法を能く能く心えて候を、智者とは申すなり」(新1968・全1466)と仰せです。 大聖人の仏法は、現実の生活や人生から、遊離したものではありません。私たち自身の日々の生活はもとより、政治、経済、教育などの社会の各分野で、仏法の豊かな智慧を現わしていくことが仏法者の使命です。 私にとって、「仏法即社会」の具体的な実践とは、世の中に貢献し、人々の幸福につながる研究につくすことにほかなりません。 地球温暖化防止のため、脱炭素社会が模索される昨今、炭素に似た性質を持つケイ素が注目されるようになりました。二酸化炭素の削減につながる新たな化合物ができれば、資源問題や環境問題を解決できるかもしれません。私の長年の夢です。 共に研究に励んだ学生が来週、研究室を巣立ちます。これからの活躍に胸が躍ります。希望溢れる学生たちと一緒に、社会の問題を解決したい!—志は、年を重ねるほど、ますます燃え上がります。
視点 以信得入 釈尊の重大です・舎利弗は、〝智慧第一〟といわれる声聞です。法華経譬喩品では、舎利弗であっても智慧でなく、「信」をもって初めて、仏の智慧の境涯に入ることができたと説かれています。これを「以信得入」といいます。 私たちの実践においても、妙法への信心がなければ、御本尊の力用を現わすことはできません。 池田先生は、「法華経における智慧とは、たんに〝頭がよい〟ことではない。もっと深いものです。一言で言えば、『心が優れていること』です」と語っています。 妙法を根本に、仏の偉大な智慧や境涯を自身のものとしていく仏道修行に励むことで、心が磨かれていくのです。
【紙上セミナー「仏法思想の輝き」科学は人生を豊かにする】聖教新聞2023.3.14 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
May 26, 2024 04:11:02 PM
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