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同じ米穀なれども/高橋殿御返事 本抄は、「断簡」つまり、切れた手紙の一部で、短いので前文を、まず書きましょう。
米穀も又又かくの如し同じ米穀なれども謗法の者をやしなうは、仏種をたつ命をついで弥弥強盛の敵人となる、又命をたすけて終に法華経を引き入れるべき故か、又法華の行者をやしなうは慈悲の中の大慈悲の米穀なるべし、一切衆生を利益すればなり、故に仏舎利変じて米となるは是なるべし、かかる今自分人をこれまでつかはし給う事うれしさ申すばかりなし、釈迦仏・地涌の菩薩・御身に入りかはらせ給うか。 其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従って起る是の故に一乗を説く、又治部房・下野房来り候ばは・いそぎいそぎつかはすべく候、松野殿にも見参候はば・くはしくかたらせ給へ。(御書p.1467)
ながく、このお手紙は、「高橋入道」宛とされていましたが、南条時光に宛てられたという説が有力で、少なくとも「高橋入道」に宛てられたものではないようです。 だから、題号も、「『高橋殿御返事』と言い慣わされているご消息」という感じでいいと思います。 拝するときの重要なポイントは「供養」ということです。 平安時代の後期には、古代の班田制度が解体していき、有力貴族(やがてそれは鎌倉時代になる武家)、そして寺社へ、土地が寄進され、いくさで勝ち取った土地を、家臣に与えて、ここに「土地を媒介とする主従関係」、すなわち封建制度が確立するわけです。 世俗的庇護を求めていたものである場合がとても大きい。
ただし、忘れてはならない「潮流」もありまして、それは寺社や行為の僧侶への寄進、供養を通じて、僧侶に祈禱してもらうという「間接的信仰」ではなく、「直接見仏信仰」の信仰です。特に、成仏できないとされた女性たちが、渇仏し、そして、宗教的な精神的高揚のなかで、仏に出合う(見仏)という出来事が、当時の文献にでてきます。
さて、話は「背景」に流れすぎましたが、本抄のポイントは、志しを向ける相手を見極めることです。
日蓮大聖人の門下の人々は、日蓮大聖人が「神秘的な霊力」を持っている信仰者として、大聖人に供養したでしょうか。 退転していった多くの門下は、まさにそのような神秘的例力、現世安穏後生善処の不思議な霊力を大聖人や、『法華経』に期待し、それが叶えられなかったので、「約束と違う!」と退転していきました。「法華経の行者」ならば、なぜ、日蓮は難に遭うのだ、あんな人についていくのは、金輪際やだ!と言って。
では、残った門下は、叶えられたから残ったのでしょうか? 違いますね。 門下にも、いろんな困難が押し寄せ続けますね。大聖人の門下であるがゆえの。 だから、供養をしても、このお師匠さんは、霊力で守ってくれなさそうですね。 また、有名寺社でも、貴族でも、有力武士でもありません。
旃陀羅が子、罪人です。
だから、この「寄進」「供養」は、いわゆる宗教的(いわゆるですよ、「真の」ではなく)な得にも、世俗的な得にもなりませんね。
でも、「供養」の本質的な意味では、「本当の供養」なんです。
なぜならば、「供養」や「布施」の原語は、dana、もしくはpojanaですが、これは、孤児、寡婦、そして貧者に金品を施すことなのです。
財産を自分のものとせずに、他者、とくに困っている人に施すこと自体、徳を積むことです。徳を積んで、金持ちになるのではないんですよ。 徳を積む、功徳を積むというのは、金持ちになる原因を積むのではないんです。 それ自体が、豊かな人徳を形成していくのです。
善き人のことを、古語で「有徳人」と呼んでいますが、まさに「功徳」というのは、困っている人を見て、ほっとけない、支えようという「善性」のことなんです。
大聖人は、困ってたんです。法華経を身読し、又その人生を他にも生きてほしいと願いつ助、歩き続けた人生。
だから、そんな大聖人を支えようと、門下は自分が鎌倉幕府から目を付けられるかもしれないけど、「米穀」などの品々を供養したわけです。
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Last updated
July 9, 2024 05:20:11 AM
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