誰がライオンやねん/聖人御難事(その2)
「野干」って何?/聖人御難事(その1) のつづき さて、ライオンです。 ライオンは、世界の40以上の国で、国旗のなかに使われています。第一位です。ちなみに第二位は鷲。第三位は馬、第四位は牛、第五位は鷲です。 もちろん、それは「力の象徴」であり、「国家を守護するもの」であることからでしょう。 また、多くの国旗や、また昔の王国の王宮の壁に彫られ、書かれたライオンのモチーフが「ユダのライオン」です。 「ユダのライオン」というのは―― 「旧約聖書」の「創世記」には、ヤコブの12人の子の一人、ユダ(イエスを裏切ったユダとは違いますよ)の子孫から諸国を支配する王が出ることが預言されています。これがイスラエルを成り立たしめている12部族です。ユダは「ユダ族」の始祖です。 ユダこそが、イスラエルの諸部族の「ライオン」というのです。 でも、ポイントは、この「ユダ」というのが、長男でも、賢かったわけでも、信仰心があったわけでも、力があったわけでもないのです。 ユダは、ある意味、もっとも「後継」とか「リーダー」とか「族長」には、ふさわしくない凡人。 だから、この場合でも「ライオン」というのは、「力」や「大勝利」や「征服」と単純に解釈してはいけない複雑性を秘めたものであることは、容易に分かります。 「日が沈むところがない」といわれたころの、イギリスが「ライオンだー。百獣の王だー」とか自らをライオンに喩えたら、それは、「力の象徴」であり、「傲慢」の象徴となります。 でも、小さくされた、社会の片隅に置かれた人たちが、「ライオン!」と言ったら、それは、ばかにするなという「気概」「誇り」「尊厳」の象徴であるわけです。 さて、ギリシャ・ローマの文化では、人をのぞいて、唯一、「慈悲の心」を持っているとされました。人間が「慈悲の心」を持っているかは、疑問ですがね。 さて、昨年、レゲエが、UNESCOの文化遺産となりましたが、レゲエといえば、「ライオン」のシンボルをしばしば使います(本来はね)。 それは、カリブ海に連れていかれた「アフリカ系奴隷」の子孫たちが、アフリカのルーツを「誇り」として「回復」していこう、というラスタファリ運動の応援歌だったからです。本来はね。 ラスタファリ運動においては、一つの理想は、エチオピアでした。エチオピア帝国です。 それ自体は、厳密には、「理想」とされるべきかは、とても問題も抱えた帝国でしたが、第二次大戦後、ムッソリーニもファシズム・イタリアの植民地だったエチオピアが、第二次大戦直後に、独立を回復したんです。 回復して、「皇帝(ハイレセラシエ)をいただく帝国」になったというので、うーん、という感じは、大いにあるのですが、 第二次大戦直後に、解放されたアフリカの国となったわけですから、「白人支配からの解放」の象徴とされたのは、無理ないことと言えます。 このエチオピア国旗が、「ユダのライオン」だったわけです。それで、「ユダのライオン」は、ラスタファリ運動のシンボルとなったわけです。 さて、レゲエといえば、ボブ・マーリーですが、ボブの後継でもある、Lauryn Hillの、そのタイトルも ‘The Coquering Lion’を。アンプラグド・ライブです。 The Coquering Lion The Coquering Lion Shall break every chain The Coquering Lion Shall break every chain Give him victory Again and again and again and again and again and again Give us some victory それから、ケイティ・ペリーの’Roar’。 これは、ライオンよりも大きなトラの咆哮です。 I got the eye of the tiger, a fighter, dancing through the fire ‘Cause I am a champion and you’re gonna hear me roar Louder, louder than a lion ‘Cause I am a champion and you’re gonna hear me roar これだけで、日蓮大聖人が言いたかったことが分かります。 圧倒的な力を持つ権力者たちから見たら、大聖人および、その門下などは、「獅子」などではなかったでしょうね。 身ぎたなくうろつく「野干の集合」と見えたでしょうね。 世間的にみたら、大聖人一門のほうが、「野干」なのです。 しかし、こころは、「獅子王」です。 自分たちこそが、王者だと思って、人々を睥睨する権力者に対して、抵抗の咆哮をあげよう。 単なる、「勇気」とかの一言で片づけられるもんじゃない。