|
カテゴリ:書評
庶民の暮らしを活写する短編集 作歌 村上 政彦
マウン・ターヤ編「12のルビー」 本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、マウン・ターヤ編『12のルビー;ビルマ女性作家選』です。 本作は1980年に出版されたアンソロジーです。収められているのは女性作家の短編小説ばかり。編者のマウン・ターヤによれば、優れた作品を選んだら、この形に自然となったこと。もちろん、ビルマ(現ミャンマー。本書ではこの名称を使うことにしているので倣います)にも男性作家はいますが、彼等のほとんどは娯楽作品を書いていて、社会の現実を移しているのは女性作家だといいます。 本書に収録された短編が発表されたのは、ほぼ1975年から85年。ビルマが社会主義政権になり、独裁色が濃くなっていく時代です。本を出版するには、政府の認可知見門を通らなければなりませんでした。 文学の役割の一つは、社会の現実を移す鏡であることです。社会が不安定であれば、それは作品にも影響します。しかし権力者は情報を操作しようとする。そのせめぎあいの中で、作家たちは、さまざまな苦心をしなければなりません。 本作でも、あからさまな政治への批判や風刺は見られないが、よく読めば自ずから作家たちのメッセージが立ち上がっています。ここに書かれた短編のほとんどが、貧しい農村で満足な教育を受けられないため、貧しさの連鎖から抜け出せない人々を描いています。 国民作歌モゥモゥ(インヤー)のニョウビャーはコーリャ川のほとりに住む」を読んでみましょう。主人公で語り手の「わたし」は、3人きょうだいの真ん中で一人息子。親に期待から教育を受け、ラングーン大学に入り、医師となる。 「我が家の畑は農作物の種類が実に豊富だった。マンゴーやタマリンドなどの大木から、えん菜やチンマゥン菜に至るまであった。季節を追って実をつけるマヤンだの、ひょうたん類もあった。母はこの畑から採れる野菜類を売ってわたしを学校へ行かせてくれたのである」 わたしは少年の頃、幼なじみのニョウミャと結婚の約束をしましたが、大学生として都会で暮らすようになって美人のワーワーと出会った。二人は結婚し、ニョウミャも別の男性と結婚。村に戻ったわたしは、彼女の娘ニョウピャーを見て驚く。ニョウミャとそっくりだったのです。さらに、とても賢い。わたしは少女に援助を与え、医師にしようと援助します。「泥の中からルビーを掘り出して」やろう、と。けれど、ニョウミャの一家では、夫が足を悪くしてあまり働けない。娘をたよりにしている。結局、ニョウピャーは学校をやめてしまいます。 せつない話ですが、同国には、このような子どもたちがたくさんいると、作者は述べています。 [参考文献] 『12のルビー:ビルマ女性作家選』 土橋泰子/南田みどり/堀田桂子訳 段々社
【ぶら~り文学の旅㉗海外編】聖教新聞2023.6.14 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 10, 2024 04:07:52 AM
コメント(0) | コメントを書く
[書評] カテゴリの最新記事
|
|