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カテゴリ:書評
日本庭園を紹介し交錯する思い 作家 村上 政彦 タン・トァンエン「夕霧花園」 本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、タン・トァンエンの『夕霧花園』です。 1941年12月8日、日本軍は真珠湾攻撃を決行し、米国との戦争を始めましたが、同じ日、真珠湾奇襲よりも先に、英国領のマラヤ連邦に侵攻しました。 本作の主人公テオ・コリンは、戦時下に日本軍の収容所で過酷な労働を強いられ、指揮官に指を切断されるという残忍な仕打ちを受けたのです。 先を急ぎ過ぎてしまいました。物語を順に追っていきましょう。 冒頭、ユンリンは判事を務めた連邦裁判所を、定年より2年繰り上げて退職します。それには理由がありました。原発性進行性失語症におかされていたのです。これは、読み書きの能力を失ってしまう病。彼女は判事の職を全うできないと判断し、職場を去ります。ユンリンは若い頃、天皇の庭師を務めたナカムラ・アリトモに弟子入りし、庭園「夕霧」を一緒に造り上げた。それを復元しようと、首都クアラルンプールから4時間かかる山岳の村タナ・ラタへ向かいます。 そして、記憶が確かで読み書きができるうちに、回顧録めいた手記を書き始める。ユンリンがペナン島で生まれたのは1923年。両親は海峡華人。51年に父の友人が経営する「マジューパ茶園」にやって来ました。 ユンリンには姉がいました・名前はユンホン。しかし、姉とは収容所で死に別れました。姉は家庭で日本に滞在した時、京都で見た庭園に強いあこがれを抱き、必ず自分の庭園を造ろうと決めた。ユンリンは、アリトモに姉の追悼のために庭を造ってもらおうとします。アリトモはその依頼を断りましたが、ユンリンに作庭の技術を指導すると提案し、彼女は庭造りを学びます。 物語は回顧録と現在の時間がない交ぜになり、進んでいく。日本軍が去った後には共産ゲリラに悩まされるユンリン家族の来し方と、版画家、彫り物師でもあったアリトモを研究する歴史学者ヨシカワ・タツジの調査の模様が語られていきます。 やがて「夕霧」はほぼ復元されます。また、ユンリンの身体には、アリトモの手による彫り物があることが明らかになる。そこから、タツジは、アリトモが日本で解雇されたことには何か秘密があったのではないかと推論する展開へ——。 庭園「夕霧」、主人公の彫り物、アリトモが姿を消した背景がつながっていく。ユンリンの回顧録では、日本兵による仕打ちが克明に記されますが、戦後78年以上が過ぎ、戦時中に起きた、マラヤの人々への加害の実態について知らない日本人は多いでしょう。 戦争の「記憶」と「忘却」の問題についても一考させられる作品です。 [参考文献] 『夕霧花園』 宮崎一郎訳 彩流社
【ぶら~り文学の旅㉟海外編】聖教新聞社023.10.11 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
November 5, 2024 05:01:43 PM
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