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カテゴリ:コラム
右側通行/左側通行 武庫川女子大学名誉教授 丸山 健夫 諸説ある。だがこう考えるとスッキリする。自転車は左から乗り降りする。馬も同じだから馬車の左側にすぐ建物があると便利だ。元来ヨーロッパ諸国は左側通行だった。ところがフランス革命が起きた。政権の変化を民衆にアピールする効果があった。フランスは右側通行となる。 続く時代、フランスのナポレオンがヨーロッパで暴れた。征服された国々は右側通行となった。手付かずの英国だけは、左側通行のまま残った。アメリカは、独立戦争でのフランスへの恩義と英国への反抗心からフランス流となる。 そして日本だ。江戸時代はルールが必要なほど、道は混雑していなかった。ところが明治になると人力車が登場。ほどなく「人力車は道の中央を走り、行き逢う時は、左に寄って避ける」とのルールができた。 この左寄りのルールが浸透し、一九二〇年の道路取締条例第一条で「道路を通行する者は左側に依るべし」となる。これで車も人もみんな左側になったが、唯一軍隊だけは右側通行だった。幕府軍のフランス式の名残だろう。だが四年後、「道路の左側を通行すべし」と改まる。つまり戦前の日本は車も人もすべて左側通行だった。 ところが敗戦。アメリカ占領軍は日本を右側通行に変えようとした。沖縄では実行された。だが都市部に大問題があった。最盛期を迎えていた路面電車である。諸施設の方向変更には、莫大な費用と時期が必要だった。そこで変更が簡単な歩行者だけを、まず右に変えたものとも考えられる。 一九七八年七月三十日、本土復帰六年後の沖縄で、右側通行から左側通行への切り替えが行われた。交通の左右は、為政者の変化を知らせる有効なプレゼンテーションであった。
【すなどけい】公明新聞2023.7.7 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 29, 2024 04:08:52 AM
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