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カテゴリ:書評
〝他者の声〟を表現する選詩集 作家 村上 政彦
ポーラ・ミーハン 「まるで魔法のように」 本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、アイルランドの『まるで魔法のように ポーラ・ミーハン選詩集』です。 ポーラ・ミーハンは、アイルランド・ダブリン生まれの詩人です。作風を見ると、女性であることを引き受けた作品が散見されます。 例えば「グラナードの聖母像は語る」。これはグラナード市にある聖母像がまつられた洞窟で、15歳の少女が一人で出産し、赤ん坊も母親も死ぬという悲惨な出来事を大愛にしています。作品は聖母像のモノローグで語られる。 「このような夜に 思い出すのは/ここにやってきた十五歳になるかならないかの女の子のこと/その子は私の足下にひとり横たわる/手を握ってくれる助産婦や医者や友人もいなかったのだ(中略)そして 息も絶え絶えのその子が私に向かって叫んだけれど/わたしは動かなかった/わたしはその子を助けるために指一本上げなかった」 ミーハンの憤りや苦しみが感じられます。カトリック教徒の多い、アイルランドの社会では、婚外出産や人工中絶がタブーとされているのです。 あるいは「傷ついた子ども」。 「かつて女の子だったあなたの中に/傷ついた子どもがいる。その子を探し出して。/見てあげなくちゃ。」「子どもを救い出せ/その子の位呪縛から/子どもを救い出せ/その子の暗い呪縛から/子どもを救い出せ。」 また、ミーハンはしっかり社会を見据えている詩人でもあります。「常備軍」には、こうあります。 「知識の寝床から飛び起きたのは/詩人たちと言葉を交わすため/彼らは今しも街に寄り集まり/眼差し熱く 韻律で語ることに倦み/歌に飢え 部族の歌を渇望している。」 この詩には、「一九九〇年 メーデー」と記録されています。ミーハンは間牛居層の出身だからでしょう、常に庶民の生活に根差した言葉を紡ぎ、現実が悲惨でも、望みを掲げる。 嵐が去り、春が来た時、「庭へと わたしは歩み出る/嵐の被害を数えあげ 生き残ったものはいないかと/探す。そして、去年の秋 たねを蒔いたまま/忘れていたルピナスを見つける(中略)幸運の星に感謝 ついに冬は終わったのだ。」。これは「たね」と名付けられた詩です。 でも、私が一番好きな一節は、「あたしは目の見えない女 歌の地図を頼りに帰り道を探している。/あたしの中の歌と外の世界から聞こえる歌が ぴったり合うと/そこにあたしの帰る場所。譜面はない 歌詞も覚えてないけれど/聴きさえすれば あたしの歌だってわかる。そこがあたしの家。」(「帰る場所」) 歌が自分の帰る場所なんて……。 [参考文献] 『まるで魔法のようにポーラ・ミーハン選詩集』 大野光子・栩木伸明・山田久美子・川口和子・河合利江訳 思潮社
【ぶら~り文学の旅㉙海外編】聖教新聞2023.7.12 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 3, 2024 09:29:45 PM
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