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カテゴリ:コラム
あのギラギラした夏 作家 伊藤 潤 強烈なブローが海面に吹きつけ、縮緬のような皺を刻んでいく。そこに飛び込むのは危険だが、上位に入るには行くしかない。 前方で選手の一人が「蠅叩き」に遭った。「蠅叩き」とは、強烈な裏風が入って轟沈することだ。その姿を見てブームを持つ手が緩む。しかし風を逃せば、とたんに艇速が落ちる。 吹きあがる飛沫の間から、マストが折れて海面を漂う選手の姿が見えてきた。ライバルたちは次々と消えている。 ——上位に入れるかもしれない。 ボードの側面に全体重を載せ、ブームを持つ手を引き絞り、私は獣のような叫び声をあげていた。 「オリンピック予選に出てみないか」 ショップの店長にそう言われた時、即座に「はい」と答えていた。 1987年、ソウル五輪で初めてウィンドサーフィン・クラスが公式競技となった。だが出場できるのは一位になった一人だけ。予選は二日間で、七里ヶ浜の沖合で10レース以上が実施される。 初日は無風で、ヘビー級の私は最下位に低迷した。 二日目も風はなく、生涯唯一と決めていた五輪への挑戦は、完全燃焼のまま終わりに近づいていた。だが午後になって風が上がり始めた。チャンスが到来したのだ。 前のレースで7位となり、意気騰がる私は最終レースに臨んだ。 最終マークに達した時、凄まじいブローが吹きつけてきた。それでも何とかジャイブに成功し、会場のゴールラインを走り抜けた私は5位に入って。うれしさのあまり、ゴールしてすぐに海に飛び込んだ。 トータル順位は8位だったが、この日のビールは最高の味がした。 五輪予選への出場を経て、今まで見てきた世界が変わった気がした。それが青春の終わりだと気づくのは、ずっと後になってからだった。
【すなどけい】公明新聞2023.7.14 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
September 6, 2024 04:23:36 AM
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