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カテゴリ:書評
先住民女性が受ける二重の差別 作家 村上 政彦 ソル・ケー・モオ「女であるだけで」 本を手にして想像の旅に出よう。用意するのは一枚の世界地図。そして今日は、ユカタン・マヤ語(先住民言語)の話者であるソル・ケー・モオの『女であるだけで』です。 私は女性に頭が上がりません。祖母、母、妻——彼女たちがいなければ、今、生きていることすら想像できません。 ところが、広く世界を見ると、女性が差別され、虐げられている国や地域があります。 本作の主人公オノリーナ・カデナ・ガルーシアも、その一人です。彼女は家畜が病気にかかり、一頭も残らず死んだ時、父によって「四百ペゾと一足の靴、そして金のネックレス一本」で売られてしまいます。買った男の名は、フロレンシオ・ルネス・コタ。二人下、ユカタン半島の高地・チアパス州出身のマヤ系ツォツィル先住民です。 フロレンシオはオノリーナに宣告する。俺はお前の所有者だ、俺の言うことに従え、と。つまり、二人の関係は夫婦ではなく、主人と奴隷なのです。 この男は、アルコール依存症に陥るほど酒を飲む。酔っぱらえば、オノリーナの髪を掴み、ベルトで叩く。素面のときはまともかといえば、やはり、同じことをする。彼女が妊娠中であろうと容赦しない。手にした物で殴る。床に倒れると、蹴る。そのせいもあってか、四人の赤ん坊が死に、生きているのは二人の男の子だけです。 ひどい仕打ちはそれだけではありません。オノリーナが市場で物売りをして稼いだ収入を全て巻き上げる。暮らしは貧しい。 オノリーナいわく、彼らの家は「四本の柱が立っているだけで、その上にトタン板の屋根が載っかっているだけさ。壁は木の間を、段ボール紙や政党のスローガンの印刷された毛布、ナイロン袋で塞いであるんだ。風が吹くと、それがひらひらと揺れるんだよ」。 フロレンシオは、人夫頭をしていたバナナ・プランテーションで、逆らう人夫を殺して、別の町に列車で逃げる。その後、工事現場のセメントを盗んで横流ししたことが発覚し、刑務所に収容される。その間は、オノリーナが自由を満喫した時間でした。 オノリーナは、インディオと女性という二重苦を背負っていることで、すべてを諦めています。しかし許せないことが一つだけあった。フロレンシオに売春を迫られたことです。死んでも嫌だと抗ったら、子どもを殺すと脅された。そして、ついにオノリーナはナイフを手にする——。 本作は先住民言語で書かれたフィクションですが、そこで扱われている差別の問題は、現在のメキシコの先住民女性に起きていることなのです。女性が平等に扱われることは、男性を偏見の楔から解放することでもあります。 本作には、このような強いメッセージが込められています。 [参考文献] 『女であるだけで』 吉田栄人訳 国書刊行会
【ぶら~り文学の旅㉜海外編】聖教新聞2023.8.23 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 6, 2024 06:27:00 AM
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