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カテゴリ:抜き書き
理想なき現実主義が悲惨をバラまいている 姜●我々が言っていることは「それは正論かつ理想論だ」と言われるかもしれませんが、結局リアリズムの名を煽る空想的な理論が、世界にいろんな悲惨をバラまいているわけです。「イラク戦争がアメリカの勝利に終わった」というときに、日本でも多くの人は喝采を送りました。メディアにいる人間も学者も、それから文化人もです。「これなら北朝鮮もOKだ」と。それが今、がらりと状況が変わっている。だから私は、理想なき現実主義は、いつの間にか現実主義それ自体を裏切っていくのではないか、と思っています。 私たちを「単なる理想を語るだけでいいわねぇ」という人もいると思うんですが、では理想のない生き方を人はできるのか? できません。矢内原忠雄という人が、「国家の理想」という論文(「国家の理想—戦時評論集—」岩波書店に所収)で語っている通り、「現実を批判するのは現実ではない。現実を批判するのは理想なのだ」ということです。だからこそ、現実について何の知識のない人も、現実を批判することができる。 小森●多くの人が「理想」という言葉を間違って考えていますよね。 姜●そうですね。 小森●「理想」というのは、「理(ことわり)に「想う」と書くんです。もちろんこの二字熟語はイデアの翻訳語として近代以降使われますけれど、本来の意味は、「ことわりにかなったことを想う」、つまり合理的な思考をする、ということに他なりません。それを考えていただければ、明白です。 理想とは、最も現実的な理に基づいて現状を分析し、そこから推論してこの現状をどのように、かつどの方向にもっていったらいいのかを想い描くことなんですよ。最近の脳科学風に言うと、前頭前野をきちんと使わないと出てこないのが「理想」なんです。 姜●だから、憲法窮状を理想だと考えると、我々がやらなければならないのは、工夫をしてもっと現実的に活用していくことです。 私は間違いなく、今後「実」の方向に少しずつお互いていくと思います。それはもちろん、行ったり来たりジグザグを遂げるのでしょうけれど。何か目線を高いところで国家のいくべき指針を示すなどということは、我々にはできない。ただ、「実」のある人々が少し勢いを取り戻す手伝いが出来るだけです。しかし「実」の兆候が、今少しずつ起きているのではないでしょうか。 小森●その兆しの一例だけご紹介しておきましょう。 私は一〇年間北海道で学んだのですが、ワインの産地である余市という町があります。ここには「余市九条の会」というのがあり、その代表者の一人は書道の先生です。その方は今まで政治運動を異才やってこなかったような人なんですが、一念発起して呼びかけ人をやりました。人口二万数千の町で、「九条の会」の呼びかけが二〇〇〇人以上いるんです。 その代表委員の一人は地元の自民党の幹部です。その人は「私は本気で、自衛隊は陸海空軍その他の戦力ではない。自衛のための最低限の実力だ! とまわりに説明してきた。これがそうじゃなくなると、私が嘘つきになる。絶対に許せない」とおっしゃっています。 町の雰囲気は違うんですよね。決してかつての保守か革新とか、自民か社会化という二項対立ではないんです。 ですから、一人ひとりが今の日本の現状をどっち向きに変えたいのかということを、いろんな縛りをいったん捨てて、率直に「この現場をどうするか」というところで議論をしたときに、私は「虚から実へ」の具体的な動きが生まれてくるのではないか、と思っています。
【戦後日本は戦争をしてきた】姜尚中(政治学者)・小森陽一(文学者)/角川文庫 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 21, 2024 03:28:21 PM
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