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カテゴリ:教学
佐渡流罪④ 創価学会教学部編 日蓮大聖人が予言してこられた「自界叛逆難」が、文永9年(1272ねん)2月、「二月騒動」として現実のものとなりました。
阿仏房・千日尼らが帰依 「種々御振舞御書」によれば、その前月(文永9年1月)に行った塚原問答の後、大聖人は佐渡国の守護代・本間重連に鎌倉を訪れる時期を尋ねられます(重連は主君の北条〈大仏〉宣時が住む鎌倉と佐渡を往来していたと考えられます)。 「康作が終わった7月の頃に」と答えた重連に大聖人は、「ただ今、戦が起ころうとしている時に、急いで鎌倉へ上り、名声を得て、所領を賜らないということがあるでしょうか。(中略)地方にいて耕作のせいで戦に臨めないのは(武士としては)恥というものでしょう」(新1238・全918、通解)と声をかけられました。重連は何も言わず、「どういうことだろうか」と疑うばかりでした。 ところが2月18日、二月騒動の知らせが佐渡に届いたのです。重連は大聖人の予言の的中を知って驚き、大聖人に『蒙古国も必ず来ることでしょう。念仏を信じる者が無間地獄に墜ちることも間違いないことなのでしょう。今度は決して念仏を申しません」(新1239・全919、通解)と告げ、慌てて鎌倉に向かったのでした。 こうした中、佐渡の地でも大聖人に帰依する者たちが次々に現れました。阿仏房・千日尼夫妻や国府入道夫妻などです。 地頭や念仏者らが大聖人のお住まいに近寄るものを監視していましたが、門下たちは夜中に食料をお届けするなどして大聖人をお支さえしました。 鎌倉や下総国(現在の千葉県北部とその周辺)などに残った門下たちも、使いを送ったりしました。四条金吾や日妙(乙御前の母)、富木常忍などです。 また、日興上人らが大聖人のお側に仕え苦難を共にしました。 大聖人は後に、千日尼に心からの感謝のお手紙を送られています。「阿仏房に櫃(食料等を入れる箱)を背負わせて、夜中に度々訪ねてこられたことを、何度生まれ変わろうと、忘れることがあるでしょうか。亡き母が、佐渡国に生まれ変わったのでしょうか」(新1741・全1313、通解) 阿仏房・千日尼夫妻も、大聖人をお支えしたために、住むところを追われ、罰金を科され、家宅を取り上げられるなどの迫害を受けています(新1741・全1314、参照)。大聖人は佐渡を離れた後も、障害にわたって門下の真心を忘れることなく感謝を続けられました。
「観心本尊抄」を御執筆 同年(文永9年)の4月頃、大聖人は、塚原から石田郷一谷(現在の佐渡市市野沢)に移され、念仏者である一谷入道のもとに身柄を置かれました。塚原の荒れ果てた堂から一谷入道の敷地内の宿所への移送は、待遇の改善とする見方もありますが、阿仏房ら塚原近在の門下から孤立させるためであったいう説もあるなど、移送の理由は定かではありません。 大聖人に付き従う弟子たちは多くいたにもかかわらず、流人である大聖人を管理する名主(荘園・公領などの経営に携わり、年貢の徴収などを担う有力者)から支給される食料はわずかであり、厳しい生活を強いられました(新1762・全1329、参照) 一谷入道は大聖人に次第に心を寄せ、生活の便宜も図るようになり、入道の妻が大聖人に帰依します。後年、一谷入道が亡くなった折、千日尼(阿仏房の妻)へあてられたお手紙(「千日尼御前御返事〈真実報恩経の事〉」)の中で、大聖人は、入道に助けられたことへの感謝の思いをつづられています。「入道の堂の廊下で、たびたび命を助けられた御恩に、どう報いればよいのであろうか」(新1743・全1315、通解) この一節から、大聖人が何度も危険にさらされ、入道が命をお守りしたことがうかがえます。 一谷へ移送された翌年の文永10年(1273年)4月25日、大聖人は「観心本尊抄」を著し、末法の衆生が成仏のために受持すべき南無妙法蓮華経の本尊について解き明かされています。「観心本尊抄」は略称であり、正式な題名は「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」といいます。 「如来滅後五五百歳」とは、釈尊が入滅してから5番目の500年、つまり末法の初めのことで、上行菩薩がこの世に出現する時を明かしており、「始む」とは上行菩薩が始めて弘めるという意義を明かしています。さらに、「観心」とは法華経の肝心である南無妙法蓮華経に縁のある末法の衆生の観心を明かしており(後述)、「本尊」とは末法の衆生が拝する本門の本尊を明かしています。「観心の本尊」と「の」の字を入れて読むのは、観心のための本尊をであることを明らかにし、経文上の仏や菩薩を本尊とする「教相の本尊」とは区別する意味があります。 したがって、題号の意味は、「末法の初めに、地涌の菩薩の上首(中心者)・上行菩薩が初めて弘通し、一切衆生が信じる対象となる、本門の本尊を明かした書」と拝せます。この上行菩薩の働きをされたのが、末法の御本仏・日蓮大聖人です。
誰人も実践し成仏できる修行
「受持即観心」の法門 「観心本尊抄」では、始めに、一念三千〈注1〉の根拠となる経文が示されます。 「摩訶止観」巻5の門を掲げ、そこに説かれる一念三千こそが天台大師(智顗)の究極・最高の教えであること示されます。 次に、「観心の本尊」のうち、「観心」について明かされます。 「観心」とは、己心(自己の心・生命)に十界〈注2〉が全てであることを衆生が観ずる(洞察する)ことであると示し、末法の凡夫である私たちの生命に仏界を含めて十界が全て具わっていて、縁に応じて開き現わせると教えられています。その肝要は、私たち普通の人間に仏界という最高の生命境涯があることに気づくことです。 そして「観心」についての結論として、「釈尊の因行果徳の二法は妙法蓮華経の五字に具足す、我らこの五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与えたもう」(新134・全246)と仰せです。 釈尊の因行(成仏のために積んだ膨大な修行)と果徳(修行によってさまざまな果徳)の全ては、「妙法蓮華経の五字」すなわち南無妙法蓮華経に具わっており。南無妙法蓮華経を受持することで、自ずと仏の因行と果報の両方を譲り受けることができるとの仰せです。 具体的に末法における観心とは、大聖人が顕された南無妙法蓮華経の御本尊を信じて受持することで、観心の修業が完結し成仏できるのです。これを「受持即観心」の法門といいます。 一念三千の法門によって成仏の可能性を理論的に解き明かした像法時代の天台大師の教えに対して大聖人は、末法のどんな人でも実践し成仏できる方法を探求されました。その結論が、南無妙法蓮華経の御本尊の受持なのです。
一切衆生のために 御本尊を御図顕
信受すべき「本尊」 続いて大聖人は、末法の私たちが信受すべき「本尊」について明かされます。まず、釈尊が成道してからの50余年の間に説かれた諸経の本尊を掲げ、法華経本門を説いた久遠実成の釈尊が最も優れていることを示されます。 さらに、釈尊が、自身が亡くなった後、本門の観心である南無妙法蓮華経を弘めるように託したのは、地涌の菩薩だけであることを示し、その本尊の姿は、寿量品が説かれている虚空会の説法の場を用いて表現した、南無妙法蓮華経を中心とするものであると明かされます。 続いて、五重三段〈注3〉を説き、根本の仏である久遠実成の釈尊を生み出した仏種(成仏の根本の原因)の南無妙法蓮華経こそが、末法の凡夫にとって成仏を可能にする本尊であると示された。 その後、自界叛逆難、西海侵逼難(他国侵逼難を蒙古の外圧として捉えた表現)が起こっている本抄御執筆の当時こそ、地涌の菩薩が出現して本門の本尊を顕す時であると述べられます。 結論では、「一念三千を識らざる者には、仏、大慈悲を起こし、五字の内にこの珠を裏み、末代幼稚の頸に懸けしめたもう」(新146・全254)と、成仏の根本法である一念三千を知らない末法の衆生に対して、仏が大慈悲を起こして、一念三千の珠を妙法蓮華経の五字に包み、釈尊の時代から遠く離れた、子どものように無知な凡夫の頸に懸けさせるのであると仰せです。 この御文は、末法の御本仏・日蓮大聖人が大慈悲を起こして、末法の一切衆生に信受させるために、南無妙法蓮華経の御本尊を御図顕されたと拝することができます。 大聖人はその後も、次々と書状を執筆し、日蓮仏法が未来にわたって世界に広がりゆくことを高らかに宣揚していかれます。 一方で、大聖人を憎む者たちが、大聖人を亡き者にしようと計画をしていくのです。(続く)
池田先生の講義から (「一念に億劫の辛労を尽くせば、本来無作の三身念々に起こるなり」〈新1099・全790〉を拝して)その無限の生命力を教えるために、大聖人は御本尊を顕してくださったのです。私たちは、御本尊を明鏡として、この生命の力を、自分において、友において、そして万人において信じていくべきです。(中略) 「観心の本尊」は、偉大なる本尊革命であり、人間の可能性を最大に尊重し、現実に変革を可能にする「人間のための宗教」の精髄です。 竜の口の頸の座で、人間とはかくも偉大な存在であると明かされた日蓮大聖人だからこそ、人間を最高に人間タラ占める根源の法を万人のために御図顕していかれたのです。 一切衆生救済の誓願の結晶であり、万人の成仏のための御本尊——それが日蓮大聖人の「観心の本尊」にほかなりません。 (『池田大作全集』第32巻)
〈注1〉 天台大師が「摩訶止観」巻5で、法華経の教えに基づいて、凡夫の一念(瞬間の生命)に仏の生命をはじめとする森羅万象が収まっていることを通して、心が概念でとらえられない不可思議なものであることを洞察するための修行法として明かしたもの。「摩訶止観」は、天台大師が講述し、弟子の章安大師(灌頂)が記した。仏教の実践修行を「止観(瞑想修行)として詳細に体系化した書。 〈注2〉 衆生の住む世界・境涯を10種に分類したもの。地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人界・天界・声聞界・縁覚界・菩薩界・仏界の10種。天台大師は、十界それぞれに他の九界が具わっているという「十界互具」を説いており、人界を衆生である私たち人間の生命にも十界が全て具わっていることになる。 〈注3〉 釈尊の教えを五つの段階にわたって重層的に分析し、それぞれを序分・正宗分(教えの核心部分)・流通分の三つの部分に分けて、仏が説こうとした最も根本の教えを明かしたもの。
[関連御書] 「種々御振舞御書」「観心本尊抄」
[参考] 「池田大作全集」第32巻(「御書の世界」〔上〕第九章)、同第33巻(「御書の世界〔下〕」第十章)、「大百蓮華」2012年6月号「勝利の経典『御書』に学ぶ」(「種々御振舞御書」講義③)、小説『新・人間革命』第11巻「躍進」
【日蓮大聖人 誓願と大慈悲の御生涯】大百蓮華2023年9月号 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
October 27, 2024 05:10:28 AM
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