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テーマ:海外生活(7774)
カテゴリ:マルチリンガルへの道
月曜日、ニコチャンを小児科に連れて行った。
Ergoterapieに通うには、小児科医からの処方箋が必要だったからだ。 Ergoterapieのセラピストからは、A4サイズの紙に4枚にわたって詳しく書かれたテスト結果と所見が、小児科医にもFAXされていた。 それを読んで、小児科医は、「まあ、セラピストは、病気にしたがりますからね。こういう所見は、気をつけて読まないとね。」といいながらも、10回分の処方箋を書いてくれた。「延長する場合は、また私との面談が必要になります。幼稚園の先生からも話を聞く必要があります。」とセラピーの必要性に対してかなり疑わしげな感じだった。 処方箋が出たので、来週からErgoterapieを開始することになった。ただ、セラピストも忙しい人で、なかなか予約が取れず、まだ、曜日と時間はきまっていない。 セラピストに電話したとき、「いただいたレポートに、幼稚園の先生からのコメントとして、9月から学校生活を送れるかどうか疑問、というようなことが書かれていて、正直、ショックを受けました。」と話した。すると、セラピストは、「もちろん、9月から学校には行けます。でも、そのようにインパクトのあることを書かないと、なかなか処方箋を出してもらえないんです。」と言ったので、小児科医は正しかったと思った。 にこちゃんは、言葉の発達が遅れている・・・ということで、言語療法に通っていたが、そこの先生に、集中力がなくて教えられない、と言われ、作業療法(Ergoterapie)を勧められた。それが、9ヶ月前の話。ようやく、作業療法がスタートできる見通しが立った。いろいろな労力を考えると、本当に正しいことをしているのか、だんだん自信がなくなってくる。このままでは、ニコちゃんの能力問題というよりは、大人の思惑によって、普通学級に入れてもらえなくなるのではないかという不安も芽生えてくる。セラピストというのは、本当に子供たちのことを考えてセラピーをしてくれているのだろうか???? ニコちゃんは、私とは日本語で話すが、半分以上はドイツ語の単語がまざっている。ドイツ語と日本語だと、たぶん、ドイツ語の語彙のほうが多いし、「流暢」にはなせるのもドイツ語かもしれない。でも、ドイツ語で説明するより、日本語で説明したほうが理解しているような気がする。それは、単に、私が説明するときによりわかりやすい言葉を使っているだけかもしれないが、ピアノのレッスンでも、小児科でも、先生に言われたことを理解していないようで、私がもう一度日本語で説明すると直ぐにわかってくれる場面が何度もあった。 多言語環境で子供を育てる場合、一人が一つの言葉で話しかけ続ける、というのが鉄則になっている。同一人物がいろいろな言葉で子供に話しかけると、子供は混乱して言葉を覚えるのに障害になる、というのだ。しかし、最近、BBCで、イギリスで一番マルチリンガルな学生として表彰された人のニュースが流れていた。 彼は、20歳のオックスフォード大学の学生で、11ヶ国語を流暢に話せる。 彼の母親は、ギリシャ人とイギリス人のハーフで、子供のときから自分の息子に、英語、ギリシャ語、たまにフランス語で話しかけていたそうだ。小さい頃日本にもすんでいたことがあるそうだが、日本語は全くできないようだ。彼は、そこに住んで、必要に迫られ学んだのではなく、自ら、興味を持って、本やCDで言語を学習したそうだ。 彼は、もともと語学的センスがあったのだろうが、子供の頃から母親が常に3ヶ国語で話しかけていたことが、彼の語学取得スキルを伸ばしたに違いないと思う。 夫はこのニュースを聞いて、「一人一言語という考えは絶対ではないと言うことが証明された。僕も、子供たちに、今から中国語(広東語)で話しかけたようかな・・」と言い出し、にこちゃんに一生懸命、中国語を教えている。ただでさえ、言葉の発達が遅れていると言われているのに、やめてくれー!と思うが、子供は私の母国語は流暢に話すのに、夫の母国語には興味すら持たないのは、申し訳ないなーとは常々思っているので、あまり強くも反対できない。 複数言語で育った子供は、アルツハイマーになる確率がそうでない人に比べてかなり低いという統計もあるそうだ。また、複数言語で育った子供は外国語を習得しやすいという統計もあるそうだ。このように、大人になるにつれ、利点が増えるけれでも、子供の頃は、やっぱりモノリンガル環境で育つのが、子供にとっては一番幸せだろうな、と私は強く思っている。 恵子は、外国語の全国大会にも参加している。1次予選を通過し、3月に2次予選の筆記試験がある。この大会は、11年から13年生が対象で、二つの外国語を選択しなければならない。恵子は、英語とラテン語を選択した。恵子の学年では、4人の女の子が1次予選を通過したが、他の子は、英語とスペイン語だったり、フランス語とロシア語だったり、それぞれ選択した言語が違うようだ。 恵子によると、外国語を教えあう、というサイト(?)があるらしく、そのサイトでみつけた、日本人でドイツにきたばかりという人と、お互いに、日本語とドイツ語を教えあう(メールで添削し合う?)ということをしているそうだ。でも、その日本人は、ドイツに来て間もないので、あまりドイツ語で書けないみたいで、なかなかやり取りが出来ないといっていた。 アメリカに住む義姉の旦那さんが、日本語検定試験の1級に合格したそうだ。そのニュースを聞いて、恵子は、「私には絶対無理だ・・・」といっていた。恵子と日本語で話していて、違和感を感じることはない。普通に、日本人同士の会話が成立する。恵子は、私と話すときに、ドイツ語や英語の単語をミックスさせることはまずない。学校の話でも、「今日は数学のテストがあった。」「物理と化学のどちらを選択しほうがいいかな?」とか、賢浩なら、「Mathe」「Phisik」「Chemie」というところを、絶対に日本語で言う。恵子とは、日本語だけで、延々と1時間でも2時間でも途切れることなく会話できる。しかし、書くとなると別。漢字の読み書きも、高校生レベルにはほど遠い。義姉の旦那さんと、恵子と、どちらの日本語がうまいかと聞かれれば、話すだけなら、恵子に軍配があがる。義姉の旦那さんは、日本語のうまい外国人の域を出ない。日本人同士という錯覚には絶対に落ちない。でも、義姉の旦那さんは、母国語が広東語で、漢字を良く知っているので、読み書きについては、恵子は絶対にかなわない。恵子に漢字を勉強する時間がないことは、本当にもったいないことだと思う。 でも、オックスフォードのマルチリンガルの学生も、大学に入ってから習得した言語もいくつかあり、今、恵子に詰め込む必要はないと思っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013年02月27日 18時55分20秒
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