モンサンミッシェル~ロワール地方へ
今日はモーニングコールまで寝てしまいました。ダンナは何故かすでに起きていて「朝のモンサンミッシェル見てくる。」と元気でした。ボーッと用意をして、ダンナが戻ってくるのを待って朝食へ。昨日よりもいろんな種類があって嬉しかった♪でも、基本的にはハムやベーコンとチーズ類。パンとフルーツとヨーグルトって感じ。まぁ、パンは美味しいし、ヨーグルトも基本がプレーンなのでその日の気分でジャムを変えてミックスして食べてました。コレが美味いんだ!日本のプレーンヨーグルトと違って、酸味が少ないのかなぁ?そのままでも全然イケるんだけど、ジャムを入れるとめっちゃ美味い!そしてモンサンミッシェルへ。今日は朝から曇り空。途中、朝靄に霞むモンサンミッシェルをバスから降りてパシャ!モンサンミッシェルのあるサン・マロ湾はヨーロッパでも屈指の潮の満ち引きの差が激しい所で、その差はなんと15m!岩山の小島に建てられたこの修道院は、満潮時には海に浮かび、干潮時には陸と道で繋がれて人々が行き交うことが出来たらしい。しかし、1877年に堤防が出来、潮の満ち引きに関係なく小島へ渡れるようになった。観光客が大挙してこの堤防から訪れるわけだが(日本人が最近多いらしい)この堤防が潮流を堰き止めるかたちになって100年間で2mも砂が堆積してしまったらしい。島の間際まで潮が来る事が無くなってしまい、すっかり干潟と化した海。かつての姿を!と、2009年には堤防を取り壊し、替わりに橋をかける計画があるとか。今日も人が多かったけど、まだ空いてる方らしい。夏にはこの堤防から大渋滞。中に入っても人が多くて前に進めない状態だとか。ちなみに堤防の奥の方にあるちょっと木々がこんもりしてる辺りにホテルがありました。右の干潟は沖合い18kmも続いてるそう。ココは巡礼者の中でも許された人しか立ち入ることが出来ないんだとか。そして18kmの向こうには、100年戦争での敵国イギリスがあります。駐車場からの眺めです。入り口のすぐ近くに駐車場があるので、ちょっと便利。修道院はいわゆる山の上に建っていて、その下には参道沿いに土産物屋やレストラン等が並ぶ。後で調べたら『国王の門』とか『忍び返し付きの家』とか『11,15,16,17世紀の建築様式が見られる教会』とかがあったらしい。見落としたぞーっ!ちっ!参道沿いはこんな感じ。フランス国旗の横にはマリア像がおりました。そして、眼下に広がる砂浜を望みながら石段を登ると(これが結構しんどい)重みを感じる僧院が見えてきます。元々は修道院でしたが、14世紀、百年戦争の時に防衛のため要塞化。実際、30年にわたる攻城戦に耐えたらしい。(すげぇ!)フランス革命~第二帝政時代までは牢獄として使われ、1874年からは現在のように一般公開されている。僧院は3階建て構造。階段昇るのはキツいけど、中は見所いっぱいで時が止まっている感じがしました。小雨交じりの天気ではあったけど、石造りのせいかヒンヤリして心地よかったです。ロマネスク様式の礼拝堂です。上層部にあるので、軽くするために天井は木でできています。右の画像は、天井です。ノアの箱船を模して、船底をイメージしているとの説も。礼拝堂の左端には大天使ミカエル像があります。この修道院を作れ!と何度も催促に現れたというミカエル様です。真ん中が礼拝堂のミカエル様。古い感じですよね。ちなみに手にしている天秤は、人間が死んだ後に天国と地獄のどちらかに行くかを決める天秤。また、新約聖書では竜(西洋では悪魔の象徴)を打ち倒したと記されている事から、足下に竜がいる事が多いらしい。って事で、右のりりしい姿もミカエル様。鐘塔の上には、このミカエル像の金色バージョンが光り輝いて立ってます。…えらい違いだなぁ~。(^_^;)そもそもこの修道院は、ケルト人の聖地であったこの島に「聖堂を建てなさい」とミカエルからのお告げで建てられたもの。708年、アヴランシュ司教オベールが夢の中でお告げを聞きます。しかし夢だ!と信じなかった。2度目のお告げも信じないオベールに、3度目の正直。ミカエルはオベールの額に触れながら強く命じると、オベールは脳天に稲妻が走る夢を見た。そして翌朝…!オベールは自分の脳天に穴が開いてるのに気づきお告げが現実のものと悟る。左側の彫刻(?)が『脳天に穴の図』です。それにしても、ミカエル様ったら。いくらキレたからって、脳天に穴を開けんでもよかろうに…。ちょっと笑ってしまいました。左は食堂。食事も修行の一貫で、食事中は無言だそうですよ。比叡山研修を思い出す…。中央はいわゆる霊安室。十字架の下には『始まりと終わり』の『A Ω』が記されています。右は壁の厚み!ロマネスク様式は壁で支える構造なので、こんなにブ厚くなってしまうんですね。修道士たちは、この建物から出る事はありません。回廊には中庭があり、緑や花に心が和みます。ココは祈りや瞑想の場だったようです。牢獄だった頃のなごりとして、囚人用の食物を運ぶ際の木製の車輪(レプリカ)が置いてありました。めっちゃデカかったです。ちなみにロープの先、窓の下はこんな感じになってます。人が多かったのと、中は暗いのでなかなか写真を撮るのが難しい。他にも見所はいっぱいです。そして昼食は名物のオムレツ。左が発祥のプーラールおばさんのお店。私達は違う店で食べたので、そんなに大きくなかった。でも、ホントに中はふわふわで(ほとんど泡)見た目より少なく感じます。味は薄いです。羊肉(ステーキ?)は薄かったのでそんなにクセは感じなかったです。キッシュは野菜タップリで○。トマトも美味しかった。デザートはリンゴのタルトなのかなぁ?濃厚でかなりしつこかったです…。午後は移動時間。明日まわるロワール地方へ5時間近くかけての移動。途中、何度かどしゃ降りの雨を抜け。嵐の後の空はホントに面白い。思わずキョロキョロと雲を探して挙動不審でした。今日のホテルはノボテル。バスの運転手、陽気なノルマンディ、フレディも写ってますが…。何か、集会所みたいですが、左奥にレストランがあって、右側奥に客室があります。夕食はそのレストランで。ツナサラダとポーク料理。ポークの付け合わせにあったご飯のようなもの。ちょっといただけませんでした…。そして問題のケーキ。似ているようで違う2種類のケーキ。ダンナと半分づつ食べました。しかし、これまた量が多い!マリー・アントワネットはこんなに甘いモノをガンガン食べていたのか?!それにしても、フランス人はアバウトなのかなぁ?夕飯の付け合わせもお皿によって全然量が違うし、ケーキも似て非なるモノがランダムに配られるし。昼食のレストランでもそうだったので、きっとお国柄なのね。部屋も、キングサイズのベッドが1つとソファベッドが1つで『ツイン』って…?!しかもソファベッドはダンナが座ってたら突然バキッという音と共にダンナがソファに沈んだ…!底にあるクッションがわりの板が外れたらしい。まぁ、元に戻ったからイイけど、すでに何枚か外れたあとがあった。椅子もダンナがちょっと反り返って伸びをしたらバキッ!また外れてしまいました。もしかしてダンナの負荷にには耐えられなかったのか…?!食後、ダンナがホテルの周りを散策したい(知らない道大好きなのでね)との事だったんだけど、私はお腹が不調気味だったので遠慮しました。ロワール川がホテルのすぐ裏側を流れているそうなんだけど、ちょっとした林を抜けなきゃならん。雨の後だったので、ダンナがくつをドロだらけにして帰ってきた。でも「虹が出てた!」と喜んで写真を見せてくれたので怒る気も失せてしまいました。そんなこんなで、ゆっくりとお風呂に入って今日も早々におやすみなさ~い…。フォトアルバムをupしました。フォトアルバム←コチラへどーぞ。大きな画像で見られます。