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カテゴリ:書籍
少し前に新書ブームがあった。
それとは何の関連もないけれど、新書をよく読む。 時間がない人間にとってはサックリ読めるのがいい。それに入門書として読んでいる側面もある。 もちろん、島田虔次『朱子学と陽明学』のように熟読玩味すべきものもあるし、岩波ジュニア新書ながら一般の読書にも耐えられる岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』のようなものもある。 それでもやはり入門として用いることが多い。 「入門」と一口に言っても、なかなか難しい。 平易さが求められていながら、喰い足りないのもいけない。また、全体を見通す視野の広さも必要だ。そのうえ、あまりにも先端を行き過ぎていても、基本をおさえる「入門」には適さない。 この辺りをおさえつつ、さらにその先を求める徒にも有益な本となると、そう多くはない。やはり「入門」は難しい。 さて、というわけで、竹内薫の『99.9%は仮説』をサックリを読んでみた。著者は『たけしのコマネチ大学数学科』に出演しており、毎回観ているので、顔だけは知っている。 それはさておき、本書。 比喩ではなく、本当にサックリ読めた。 著者も紹介しているカール・ポパー、ポール・ファイヤアーベント、村上陽一郎、スティーヴン・ホーキングなどの諸著作、特に科学史、科学哲学の関連に興味があって、ちょこちょこ漁っている文系の身としては、ほとんど新味がない。 それでも本書がベストセラーの仲間入りをしていることは何となくなく理解できるし、それは評価すべきだと思う。 本書の特徴はできる限り卑近な事実に引き寄せて、科学的な思考が如何なるものかを解説しようとしていることだろう。 これには功罪がある。 ファイヤアーベントを敬愛する竹内氏にしては、科学における「仮説」を安易に拡大解釈しているのは軽率だろう。 トマス・クーンのパラダイム論を批判したファイヤアーベントの意図は、科学の合理性と客観性を否定するそうした使用方法へ向けられたものだった。同じことは「仮説」にも言えるのではないか。 共約不可能性だとか、間主観性といった概念を含めたものとして措定されているので、一概に比することはできないけれども、こうした概念の汎用は控えるべきだろう。 特に、科学の立場に立つのであれば。 それでも、身近な出来事と思考方法を結びつけて馴染みの良いものするのは悪いことではない。 また、これは狙ったものではないのだろうけれど、それなりに先端の事実を提示したおかげで、冥王星の準惑星への分類という昨今では最も話題となった出来事に触れることができた。 同時代として体験できた出来事であれば、なるほどと納得できることにもなるだろうし、そこからさらに調べるというモチベーションにもなるだろう。調べるという行為につなげるのは入門として重要だと思う。 その意味では、本書は「入門」としての役割を果たしている。 参考文献も量、質ともに適度だと思える。結論を急がないのも好感が持てる。 入門としてよくできた本と言ってもいいのではないだろうか。 最後に、これは著者の話ではなく、編集の問題なのだが、小見出しと章立てが合致していない箇所がいくつか見受けられる。 次の段落の小見出しが前段落についていたり、その段落と全く関係ない小見出しだったり、誤植でないだけに、非常に気にかかる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月30日 00時54分22秒
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