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きらめき星の世界

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2006.12.18
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カテゴリ:歴史

冬なので、寒そうなタイトルで・・・。

 

火と氷の島

rgs.JPG

あとは温泉??笑

 

実際は名前ほど寒い所ではないのですが。緯度でいえばスカンディナヴィア半島北部のラップランドの方が高い。とはいっても島全体が流氷限界線内に入ってます。むかーしは森が広がる緑豊かな土地だったそうです。が、人が移り住むようになってから、森林伐採や火山の噴火等で気が付けば不毛の大地になってしまったんだそうで。

イースター島と同じですね。

 

でもとにかく今でもちゃんと残ってます。。

 

ここに最初に植民を行ったのは有名なヴァイキングです。

料理のヴァイキング?
それは日本の帝国ホテルが名づけた、日本だけで通用する料理単語ですぞよ。海賊としてヨーロッパを荒らしまわった人々、というイメージが僕も含めて日本ではメジャーではないかと。大雑把な定義では、9~11世紀にスカンディナヴィア半島及びユトランド半島(デンマーク)で生活していた人々であり、そこからヨーロッパ各地で略奪と侵略の嵐を巻き起こした人々です。彼らは征服と同時に各地で植民を行い、その勢力範囲を広げて行きました。現在でいうと、大体デンマーク・スウェーデン・ノルウェーに当たります。(もちろん1対1対応ではありません)
スカンディナヴィア人と呼ぶことが多いですね。

ルーン文字と呼ばれるものをもっていましたが、日常言語というよりは石碑などに刻み込むときに使用していたようです。

gn.JPGjmg.JPG

ルーン石碑

 

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ヴァイキング時代のスカンジナヴィア人はまだヨーロッパ人ではありません。キリスト教を受け入れるのはヴァイキング時代も後期になってからです。なので彼らにとっては神聖な教会も開けっ放しの金庫といって間違いではないのです。

 

は今のバルト三国辺りまで進出しています。(東に向かった人々は「ルーシ」と呼ばれ、現在も「ロシア」という言葉にその名残が残っています) そこからさらに南下してキエフ(現ウクライナの首都キエフ)を占領してキエフ公国を建国します。これが後のロシアにも繋がっていきます。

はフランス・スペインと続いて一部の集団はジブラルタル海峡を通って地中海に入り、ローマ攻略さえ試みています。(ローマの場所を間違えて失敗に終わったらしいですが・・)

そして西に進出した人々はまずアイルランド・イングランドを徹底的に襲撃します。

さらに西を目指したノルウェー人が9世紀半ばにアイスランドを発見するのです。小さな島に植民した彼らは、島という特性を生かした行政組織を作ります。毎年夏に全島集まって行われる総集会(アルシング)は民主主義の走りだ、なんていう人もいます。たぶん当時の観念は全く違う気もしますが・・。しかし実際西暦1000年の集会でアイスランドのキリスト教化が決定されていますし、なんとこの習慣は19世紀まで続きます。1944年特別に集会が開かれ、アイスランド共和国独立が決定されました。

この国の大きな魅力は、サガ(saga)と呼ばれる中世北欧の歴史を題材とした散文学です。12世紀頃より書きためられたもので、歴史資料としても価値があります。例えば「植民の書」には9,10世紀にアイスランドに入植した430人もの人々の家族、出身、入植地が記載されています。記述言語であるアイスランド語は1000年前から現在までその形をほとんど変えていないそうです。なので(すごく)がんばって勉強したら皆さんも読めるわけですね。

 以上の話も書きたかったことの一つではありますが、、、

話はまだ終わりません。

大西洋に乗り出したヴァイキングたちはさらに西を目指しました。

 

アイスランドの次に彼らがたどり着いたのはグリーンランドです。10世紀前半、アイスランドへの航路を誤ったノルウェー人が初めてこの島を目撃します。985年、殺人の罪でアイスランドを追放された「赤毛の」エイリークは25隻でこの島に向かい、14隻が上陸を果たします。その後、アイスランドから入植者が次々と住み着きました。9~12世紀のグリーンランドは今よりも温暖で、穀物栽培や家畜の飼育もできました。とはいってもそこまで土地が豊かではないので、主な食料はアザラシだったようです。

gui.JPG

 

 

グリーンランドに入植が始まった数年後、グリーンランドへの航路を誤ったアイスランド人が偶然「森の地」と「平らな地」を目撃します。

これは場所が特定されていて、「森の地」はカナダのラブラドル半島。「平らな地」はその上にあるバフィン島です。

そうです。ヨーロッパ人(厳密にはまだですが)で初めてアメリカ大陸を発見したのはヴァイキングです。コロンブスより何百年早いんでしょう。今日の日記は、要するにこれが書きたかったんですけど、、、何となく知っていましたがようやく確認することができた!

それから10年~15年後、「赤毛の」エイリークの息子、「幸運な」レイブが「ワインの地」(カナダのニューファンドランド島)に上陸、越冬して帰国します。さらにレイブの兄弟ソルヴァルドがワインの地に向かいますが、そこで「スクレーリング」(アメリカの先住民族のこと)と揉め、殺されてしまいます。数年後には100人以上の人々が定住を試みますが3年で失敗。その後も何回も植民が試みられましたが、結局どれも成功しなかったようです。先住民との関係がうまく行かなかったことと、アイスランドからの物資補給路がしっかり確立できなかったためと考えられています。

この話は全て先ほど紹介したサガに書かれている内容です。当時のヨーロッパ人はグリーンランドもアメリカ大陸も全く知らないので、この文献には信憑性があります。実際カナダではヴァイキング時代の遺跡が見つかっています。遺跡からは当時鉄が使用されていたことがわかっており、当時先住民は鉄を知りませんでした。またノルウェーの銀貨やスカンディナヴィア半島と同一の遺物が発見されており、この遺跡がヴァイキング時代のスカンディナヴィア人の居住地だったことをはっきりと示しています。

 

ヴァイキング時代は12世紀にほぼ終了します。その後は、スカンディナヴィアはキリスト教を受け入れ、ヨーロッパの一員として文明化の道を歩むことになるのです。ヴァイキングの活動がなぜ起こったのかについてはっきり一つの原因があるわけではないようです。食糧難、政変、銀を求めて、等。ヴァイキングが統一された活動をしていたわけでもないですし、実際略奪ではなく交易も広く行われていました。どのような形にしろ、ヨーロッパと関わっていく中で様々な影響を受けスカンディナヴィア社会は自らの行いの結果、自らを変革することになったのでしょう。

遺された海外の植民地も15世紀までには消滅します。あるものは土着化して新しい国家となり、あるものは別の国家に吸収されました。12世紀頃急速に気候が寒冷化し(小氷期)、アイスランドは非常に困難な生活が続きますが捨てられることはありませんでした。グリーンランドは13世紀まで発展を続けていましたが、14世紀後半以降次々と居住地が放棄されていきます。ここでは小氷期に氷山が増し物資の輸送が困難になりました。また13世紀以降北からグリーンランドに入り、気候の悪化に伴って南下してきたイヌイットとの生存競争にも負け、犬まで食べつくすという悲劇的な最後を迎えた人もいました。アメリカ大陸では14世紀頃までのスカンディナヴィアの遺物が見つかっていますが、これは現地の先住民とグリーンランド・スカンディナヴィア人との交易の結果と考えられています。14世紀以降はこれも途絶えました。

 

これと前後するようにコロンブスがアメリカ大陸に向けて旅立っていったのは、何とも象徴的です。

 

なぜかヨーロッパ化する前の、荒々しい民族の生きかたに惹かれてしまうのは個人的な感情でしょうか。。
長くなりました。北欧行きたい。

 

途中、文章・単語、写真を引用している部分がありますが、全て以下の文献に拠ります。
ヒースマン姿子 「ヴァイキングの考古学」 同成社
角谷英則 「ヴァイキング時代」 京都大学学術出版会






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Last updated  2006.12.25 19:23:27
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