テーマ:フランス文学(162)
カテゴリ:文学
アンスティテュ・フランセ東京にてR.先生の講義。
夏学期は5回シリーズでディドロ『ラモーの甥』。 印象に残ったことなどをランダムにメモする。 『ラモーの甥』は18世紀初頭のパリ/パレ・ロワイヤルが舞台になっている。当時のパレ・ロワイヤルは階級の上下に関係なく様々な人々が集まる“自由な”街区であった。 東京でも似たようなパターンがあったのでは。大正デモクラシー期の浅草? R.先生の解説に「hagiographie」という言葉が出てきた。アジオグラフィ。学校に通っている頃に日本民俗学の講義に出席していた。担当が“福田アジオ”先生だった。ちょっと変わったお名前だったので記憶に残っている。辞書で「hagiographie」を確認してみると「聖人伝;聖人研究/美化された伝記」とある。もしやと思いGoogleで「福田アジオ 名前 由来」などのキーワードを入れて検索してみる。どうやら福田先生の場合はエスペラント語でアジアを意味する“アジオ”らしい。 全くどうでも良いことだがこの日本民俗学の成績は芳しくなかった。 『ラモーの甥』は“自由”について論じているのだが文面に“自由”や“解放”といった直接的な語句が出てくることは少ない。 cf.「hyperonyme」上位概念語⇔「hyponyme」下位概念語 Mes pensées, ce sont mes catins. 私の思考は遊女たちなのである…ではおかしな邦訳か。「catin」ふしだらな女,売春婦。思考を勝手気ままに遊ばせている…という意味なのだろう。 2013年の日本に合致する良い邦訳はないだろうか。私の思考はギャルたちなのである? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.07.09 12:55:57
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