つり銭
自宅近くの小さな乾物屋さんへ時々行く。職場で使う食品を調達するためである。 毎回数百円程度の買い物である。 私の財布には紙幣だけ入っていることが多い。小銭ができると職場のレジに回してしまうからだ。 しばらく前のある日のこと。その乾物屋さんで例によって買い物をした。500円の品が1点。1万円札しか持ち合わせがなかった。 「すみません。大きいのしかないのですけれど。」 と申し出た。すると店のおばさんがこう返答してきた。 「ウチは商売ですからおつりは用意してあります。」 かなり高齢のおばさんである。 私は「ウチは商売ですから…」という言い方が気になった。“これだから若い人は”のようなニュアンスがあった。 こちらだって弱小ながら商売に身を投じているのである。それくらいわかっているぞ。だから何なのだ。黙っておつりを渡してくれれば済むのに。 つり銭 私は光太郎の注文で、ときおり本や薬などを買って持っていった。 光太郎は私からその金額を聞くと、いつでも必ずきちんとその金額を ととのえて出した。たとえば、はしたが何円というようなこまかな金 額でも、きちんとこしらえて出した。私の方からつり銭を出さなけれ ばならないような、そんな金の出し方は決してしなかった。 これは金銭に対してもおろそかにしない、光太郎の礼儀正しい一面 を示したものだと思う。光太郎は私から本や薬を買ったのではない、 私に用をたのんだのだ。だから私からつり銭を出させるようなことは 非礼だと考えていたのであろう。だからいつの場合でも、きちんとこ まかい金まで用意して出した。例外は一度もなかった。 (奥平英雄『晩年の高村光太郎』瑠璃書房/三彩社 1976 p.180) 過日購入し読了した書籍からの抜粋。 なるほど。私はこれを読んであのおばさんを思い出した。 先日また乾物屋さんへ買い物に行った。おばさんはいなかった。ご子息なのだろう。初老の男性がお店にいた。 いつも買っている品は500円から600円に値上がりしていた。私は黙って財布から1万円札を出した。 「はーい。ありがとーぅ。9,400円お返し。」