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テーマ:学校・教育(163)
カテゴリ:読書
友達から借りた本である。
「キングダム」をやっと読み終えて、昨日この本を手に取った。 子どもの問題や教育に関心がありながら、今まで林 竹二氏を知らなかったことを恥ずかしく思った。 問いつづけて ―教育とは何だろうか 林 竹二 (著)小野 成視 (写真) どうしてこんなに美しいのか。傷つけられ、打ち捨てられ、落ちこぼれと言われるこの子たち。―― 逆なのだ、エリートコースに追い立てられる中で失われる人間としての真の価値を、肉体とたましいの奥深く秘めているのが、彼らなのだ。 林竹二氏が、学問的蓄積のすべてをかけてする授業が、みごとに呼びさますその劇的な姿は、こよなく深く尊い。 人間にはまだ望みがある――この子らの示す事実に、私たちはたしかにそう胸につぶやくことができる。 林竹二(はやし たけじ、1906年12月21日 - 1985年4月1日)は、日本の教育哲学者。東北大学名誉教授。元宮城教育大学学長。専攻はギリシア哲学。プラトンについての論文がある。と紹介されている。 著作もとても多いのに、どうして今まで私の視界に入らなかったのかと不思議な気さえする。 しかし、今地元の図書館に所蔵している本を調べたら、たった二冊だけ。 うーん、どうしてなのか。 この本は、林氏が全国の小中高校を授業して歩いた実践の記録だ。 彼が授業をしている時の子ども達の表情の変化を、小野カメラマンが実に見事に写している。 これが自分の内面で深く思索している子どもの表情なのか。 これが心からわかったときの子どもの喜びの表情なのか。 これを間近で見ていた教師たちはさぞ感動したことだろう。 なんて思いながら読み進めたが、日常的にこの子ども達に教えている先生の受け止め方はまた違うようだった。 さもありなんとも思う。 林氏の授業はとても哲学的であり思索的だから、ついていける先生も少ないかもしれない。 子ども達はまっさらだから、真剣にその問題を自分のこととして考え、自分の内部の心に問い、 新しい自分への変容ができる。 子ども達にとっては林先生の授業はとても面白くて、集中できて、 「もっとこんな勉強がしたい!」と思うけれど、 現場の先生たちにとってはきっと難しいのだろうとは想像できる。 それでも、少数ではあっても林先生の授業に感銘を受け、 授業後に子ども達が書いた感想文に感動し、その子の変化に涙する教師もいる。 その先生たちは、常日頃から子ども達と真剣に向き合い、 何とか子どもの喜びや成長を促したいと苦労している先生たちなのだ。 もう、林氏の直接の教え子も少なくなっていることと思う。 しかし、その思いを受け継いでいる人たちも必ずいると思いたい。 林氏を知らなくても、彼のような思いで子どもに向き合って寄り添って、 子どもに学び子どもとともに成長している人は少なからずいると思う。 できれば公教育現場にいてほしいと思うが、それはどんどん難しくなっているようにも思う。 不登校が激増しフリースクールが増えているが、そのような場にこのような先生がいるのかもしれない。 林先生は語っている。 「学校が子ども達を勉強嫌いにしている」 「学びたいという願いを、子どもはみな持っているんですね。 しかしそれに答えるものを学校教育は与えていない。 私がよく言うように、パンを求めている子どもに石を与えているのがいまの学校教育です。 そこでの優等生なんかは、石でも、うまい、うまい、というような顔をして食べてみせるわけですね。 ところが、「石なんか食えるか」と言ってそれをはねつける者、拒む者は切り捨てられるのです」 林竹二さんに会いたかったなあ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年03月19日 09時50分12秒
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