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テーマ:読書(8487)
カテゴリ:読書
「愚か者の石 」河崎秋子 小学館
〈 書籍の内容 〉 生きることは、まだ許されている。 明治18年初夏、瀬戸内巽は国事犯として徒刑13年の判決を受け、北海道の樺戸集治監に収監された。同房の山本大二郎は、女の話や食い物の話など囚人の欲望を膨らませる、夢のような法螺ばかり吹く男だった。明治19年春、巽は硫黄採掘に従事するため相棒の大二郎とともに道東・標茶の釧路集治監へ移送されることになった。その道中で一行は四月の吹雪に遭遇する。生き延びたのは看守の中田、大二郎、巽の三人だけだった。無数の同胞を葬りながら続いた硫黄山での苦役は二年におよんだ。目を悪くしたこともあり、樺戸に戻ってきてから精彩を欠いていた大二郎は、明治22年1月末、収監されていた屏禁室の火事とともに、姿を消す。明治30年に仮放免となった巽は、大二郎の行方を、再会した看守の中田と探すことになる。山本大二郎は、かつて幼子二人を殺めていた。 「なあ兄さん。石炭の山で泣いたら黒い涙が出るのなら、 ここの硫黄の山で涙流したら、黄色い涙が出るのかねえ」 新聞でこの本のことを知り、舞台が樺戸集治監と釧路集治監と書かれていたので、これは読まなくちゃと購入した。 いや、興味深くとても面白かった。 河崎さんの作品は北海道を舞台にしているのでほとんど読んではいるが、 面白いというよりは重くてあくが強く感じることが多くて、 その筆力や土着の力強さに感心はするけれど、 他の人に「面白かったよ」と軽く言える感じではない。 でもこの作品を読んで、作家として一歩グレードアップしたような感じがした。 とにかく小説として面白いし、北海道は囚人と言われる人たちの汗と命の代償が どれほどしみ込んでいるのかとあらためて思う。 そして、人間の犯罪と裁きの実相や、人間にとっての罪や償いについて考えさせられる。 この小説に描かれている集治監での様々な立場や経歴の面々の人間模様や、 絶望の中での救いや生きることへの意味など、 人によって巡らせる思いは随分違うような気がする。 ☆五つである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年06月12日 08時52分13秒
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