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テーマ:子供の宿題(20)
カテゴリ:通信教育・大学、教育、講座、講演会
昨日、読書感想文の宿題をやめてくださいと書いたのだが、
今朝「読書感想文」で書いているブログをいくつか拝見して、本当に驚いた。 いや、今更驚くことではないのだろうが、自分のことと重ね合わせたら驚くしかなかった。 今は、夏休みの宿題は親の宿題でもあるみたいなのだ。 昨日のブログは、あくまでも感想文は子ども自身が苦労して書くものという前提だったのだが、今ではその前提が間違っているらしい。 そういえば、以前に「宿題代行」とか、「レポート代行」などのビジネスがあることを知り驚愕したものだが、それすら忘れていた古い時代の私だった。 親が一緒に宿題に取り組むメリットが全くないとは思わないが、あくまでも子どもにアドバイスしたりする程度にとどめるのが当然と思っていた。 昔の話をしたら皆さんに笑われることを承知で書くけれど、 私の子ども時代には(私の育った地方では)親が宿題を手伝ってくれる人は相当に恵まれた人だった。 どう恵まれているかと言えば、まず母親が専業主婦であり子どもの教育に熱心であることだろう。 私の育った地域は、自衛隊の駐屯地だったので自衛隊官舎の子ども達は、親が教育熱心で母親は専業主婦。 地元は農村地帯で私の家も農家だったので、学校のことは子ども自身が何とかしなくてはならないのがあたりまえだった。 そもそも農家の子は、休み中は家の農作業の手伝いをすることが当然の時代だったのだ。 宿題でわからないことがあったとしても、少なくても私は親に教えてもらおうと思ったことは全くない。 官舎の友達が親に宿題を手伝ってもらったことがあると知ったのは、大人になってからである。 そんな育ちをしていたので、自分が子育て中も当然そんなものだと思っていた。 息子たちの夏休みや冬休みには「自由研究」のようなものがあったので、 「何をしたらいいかわからない」などとボヤくときには、 「こんなことはどうかな」なんてアドバイスくらいはしたと思うが、手伝った記憶はない。 夏休み終盤になって「まだ宿題ができてない」と泣き言を言っても、 「何やってたの。早くやりなさい」と口先だけ注意して、 始業式前日に「先生に怒られる( ノД`)シクシク…」とべそをかいても、 「やっていなかったのはあんたが悪いんだから、怒られてきなさい。どうしてもわからないなら教えてあげる」と言う程度だったと思う。 私も仕事をしていたので、子どもの宿題を心配する時間もなかったし…。 ひょっとしたら、その頃は私の子ども時代より専業主婦は多かったはずなので、 親に宿題を手伝ってもらっていた友達は多かったのかもしれないが、 私がそんな調子だったので息子たちも私に頼ることを諦めていたのかもしれない。 時代は下がって孫たちはどうだったのだろう。 離れて暮らしていたので、宿題がどうのこうのという話は記憶にない。 割と計画的できちんとした性格のお嫁さんなので、きっと早め早めにさせていたのだろうと思う。 そんなことで、今は「親が手伝う、協力する」というレベルを超えているような気がするブログをいくつか拝見し、うーんとうなってしまった。 そのようなことが本当に子どものためになるのかどうか、私は首を傾げるばかりだ。 先生たちは、そのような状態をどう考えているのかな。 親の宿題になるような宿題なら、ヤメてしまった方が親子でスッキリするんじゃないだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2024年08月08日 11時00分43秒
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