カレンダー
私の今日のカレンダーには「2011年14時46分」とある。アラームを設定し、地域に鳴り響いたサイレンと同時に黙とう1945年3月10日の東京大空襲は体験していない3月11日の東日本大震災で私は変わった最初に揺れたとき、私は茨城県にある職場の二人部屋にいた。同室の同僚が「大きいですね。大丈夫でしょうか?」と聞いてきた。しばらく考えて、「A側でなく、B側から降りて外に出ましょう。」と言って外に出た。A側は5階 B側は2階建ての建物庭にあった桜の木につかまりながら繰り返す揺れが治まるのを待った。他の部門からも人が出てきた。とりあえず、東京都神奈川にいる子どもと夫に「とりあえず無事」とメールを送った。はじめは送れなかったが、何とか送ることができた。実家の姉たちにも「無事」というメールを送った。・・・後日談働いている姉たちは大地震があったことも知らなかったようだ・・・職場の本部からは「外に避難して待機」という伝達があった以降連絡がなかった。16時くらいになったろうか?とりあえず帰宅できるように鞄を部屋から持ち出した。「震度5には耐えられない」と言われていた職場の建物は無事だった。防火扉が閉まっていた。廊下に、ある部屋から薬品が流れ出ていた。鞄を持ったまま外にいたが、しびれを切らし駐車場にある車に乗って、テレビを付けたら震源地が東北であり、津波が来ているニュースが流れていた。これは職場の連絡網も来ないと判断し、車で帰宅した。40分の通勤道路は被災なし自宅も物がいくつか落ちただけだった。(大きな箪笥や戸棚は、全部部屋の柱に針金と釘で固定していた。後日、針金が切れて釘が抜けているところがあることに気づいた)直ぐに水をありったけの鍋などに汲み置きお風呂にも水をためた・・・運よく断水前だった夫は東京の職場から戻れず帰宅難民となった・・・後日、周囲の家では瓦が落ちてブルーシートがかけられていたわが家は、当時「詐欺」と言われたが、軽くて地震に強いと勧められた瓦に吹き替えたばかりだった。ちなみに600万円のところ半額でサービスですと勧められた。セールスマンは「こないほうがが良いのですが、大地震がきたらその時に効果がわかります」と言われた。詐欺だってなんだってこれで我が家は助かったのだ。震災物語はまだまだ続く